東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

オリンピックもキレイに着飾った賭け事の祭りである

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きょう(きのう)、恵が司会するワイドショー「ひるおび」に元警視総監の米村敏朗氏が出演しオリンピック開催の意義を話した。聞き逃したが、彼は2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会チーフ・セキュリティ・オフィサー、つまり組織委員会側の人間であった。そして、その警視総監だったという経歴で何を喋るのか興味があったが、自民の丸川女史と同じに、あまりにズレたことを言ってたので、かいつまむと、

「(略)アスリートが1番なんです。このコロナの中で彼らから”感動と希望”をもらうことが今このコロナで苦しんでいる中で大事なんです・・・」というようなことを言っていた。

・・・これを聞いて椅子から転げ落ちた。

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自民丸川女史も記者の質問に「絆と感動」が今こそ大事であるので開催するべきだ、のようなことを言っていたが、一体この人たち、何一つ苦労なく相当なおぼっちゃま、お嬢ちゃまで育ったのか?優雅な人生をこの年までおくってきたのか?

話はアスリート、スポーツのことになるが、自分はアスリートには興味がないので何も感じないし彼らのやってること見ても「さあ、明日っから頑張ろう」などと一切思わない。得意な種目で好きで彼らが勝手にやってることに何で他人が応援すると言ったスタンス、そう言う感覚がわからない。彼らが勝つまでに自分から進んで苦しい練習など望んでやってること。大きな記録を出してもプロ選手だったら金銭が絡んでくる問題で、大学でただ楽しいからやってた時とは違い商売である。つまり彼らは勝負師・賭け事師である。

頑張ってる人を応援したい・・・と、よく聞く。が、本当の意味で頑張ってるって人というのは「勝敗」で頑張ってるんじゃなく、逆境の生活環境や病気やリアルに生活や屈強の中で生きる姿、それが頑張るということで、そういう人に感動するのであって、生きることに直接関係のない運動から、どうして感動できるのか?

生活のために好きでもない仕事で金を稼がないといけない人にとって、運動を糧にしている人たちである彼らの「汗」は生活を頑張る人の「汗」とは似て非なるもの。贅沢なことをしてる人たち、としか映らない。

「感動と希望」と、よく使う人は、賭け事や勝敗が好きな人である。それは、勝ち負け=スポーツ、麻雀、競馬、競艇、、、そういうジャンルでは、勝ち負けをキレイに表現するために「感動と希望」などといった言葉を使ってカムフラージュする、まさに詭弁者である。そのオリンピックもキレイに着飾った賭け事の祭りである。

「ひるおび」の元警視総監・米村氏の「感動と希望」発言には、ほんとにおどろいた。見た目も紳士で目もキレてて鋭い発言が出るのか?と思ったら、今の菅総理の「国民の命と暮らし・・・」の連発と似ていて、なぜ、こんなピンボケな人達が人の上の立場になってしまったのだろうか、と、不思議でならない。キレイな言葉で曖昧にして何の説得力もないどころか、夢見る夢子ちゃんでも今時、感動と希望!なんてこっぱずかしくて言わないだろうに。つまり本人に確たる信念がないからボキャブラリーで人を説得できないのである。。

希望、絆、感動、命、健康、といった言葉を使う人は空っぽな人。信用してはいけない。