東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

できるか?できないか?の議論ではなく、やってはいけない。

自分は独身だから今回のようなパンデミックにたいして、子供、奥さん、爺さん婆さんだったりと、世間ではそう言った家族的な守るべき当たり前の人が居ないのは気が楽である。居ないから楽、、というよりも、そういうことに使命感も運命も興味も何も無く、簡単に言えば面倒だったから家族を作らなかったわけである。

そもそも横溝正史の小説にあるような田舎の大家族で分家だの長男だのといった、くだらない風習も無縁だし、家族はすべてを許し合える血の繋がった仲間・・ってのはどう考えても幻想だと思うし、産んでくれたから、血が繋がってるから、育ててくれたから、という理由で口に出さないが仕方なく繋がってるという人は多いんじゃないだろうか。

今回の感染症の解決策はワクチン接種しか無い。でも去年のいつ頃だったか?忘れたが、ワクチンが出来るかわからない時期があった。その時は、未知の病に絶望スレスレの気持ちが世界中にあったと思う。人はもうその頃のことは忘れている。

ワクチンは全て外国製である。日本はいったい、何をしてるのだろうか?

1年以上、何をやったのだろうか?

マスクを配ったり店を休業させたりしただけじゃないのか?

冷静になって考えるとワクチンは海外のモノをお金で買っているわけである。つまり日本には予算(金)はある。それならなぜ、全ての業種に休業要請して審査なく大量の「金」を最初にばら撒くことがをしなかったのか? ミスがないか?払いすぎてないか?などと言った良い意味での官僚の慎重な態度のせいで時間をかけることで感染を広げることになぜ気がつかないのだろうか?

解決策はマスクでも緊急事態宣言を2週間ごとにズルズル延長することではなく、自粛でもなく、金をばら撒いて1ヶ月間休業させることしかないのである。これは法律で決めなくてもできることである。

オリンピックの開催決定権は日本には無いなどと馬鹿げたことを言っているIOCの元アスリートがいるが、日本も馬鹿にされたものである。河野太郎にはこういうところで怒ってほしい。

オリンピックは失敗する。膨大な違約金を支払わずに逃げ切って開催し、近代的な舞台で選手は毎日大事に優遇され食事も部屋も与えられる。宿舎に缶詰になるなど大した苦労ではない。全てを保障されて運動だけに専念する選手達と、

それとは対照的にその陰では、代々木のスタジアムからすぐ側の、新宿公園に炊き出しや弁当支給をもらいに行く職を失った人たちがたくさんいて、これこそが格差でなくて何だろうか?

インドで国際会議が行われるので、近代的に道路や公共施設を整備し造った塀の裏にはスラム街のような貧民街を壁で隠したインド政府と同じではないか?

オリンピックに限らず、この目に見える格差を作り出してしまう行為は、感染者数や死亡者数といった医療体制の問題ではなく、職を失ったり経営破綻するといった二次被害の状況が感染で苦しむと同様の深刻さで進行形である以上、オリンピックのような「晴れ」のイベントを今、できるか?できないか?の議論ではなく、やってはいけないのである。

日本人は人を思う心が無くなってしまったようだ。貧富の差が海外ほどない日本では、無意識に公平感を意識して修正していく、といったバランス=秩序があった。不自然な状況を正していくことをしていた。しかし今回のように、大事にされるオリンピックの裏で死にかけている人がいるという非常にアンバランスで不自然な状況が、この日本の秩序を狂わせてしまい、目には見えない大事なものが失われることになる。