東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

一般企業に就職をしたことのないサラリーマン経験のないスポーツ選手の幼稚さ。

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古代ローマの格闘技という名の殺し合い。殺し合いを楽しむ上級市民たち。これがスポーツの原点。
スポーツに正当な意義はない。サッカー、野球、水泳、体操、ゴルフ(これはスポーツじゃ無く賭博だと思っている)、etc..etc....さらに競馬、競輪、ボート、そう言った賭け事、賞金ゲームは、観てはいけない、触ってもいけない、とても不浄なものだという信念がある。(極端であるが)

すべての勝敗がつくものごと、順位がつくものごと、これらに関わる人の心の中には「くやしい」「怒り」「後悔」「おごり」[嫉妬」といった負の意識が生まれる。良い意識より負の意識の方がたくさん生まれる。なぜなら勝敗では負ける人の数の方が多いからだ。

人はなぜ順位をつけるのだろう?

なぜ勝ち負けを許したのだろう?

スポーツ組織は単細胞な権力主義、上下関係の帝国主義の旧軍隊のような時代錯誤な支配関係。

スポーツとは、古来から支配者が一般市民の「ガス抜き」(言葉は嫌いだが)に作ったもの。人がつまらない毎日で犯罪を犯さないようフラストレーションを発散させるために戦う(殺し合う)競技者を観戦する場を作った。すべては支配者側がより市民を支配しやすくするために計画的に考えた事業である。

それを良いイメージにするため広告代理店がスポーツは「さわやか&健全」「精神鍛錬」などというキャッツコピーで好感度を作り上げた。

アマチュアや大学生以外の、スポンサーが付いてのプロの場合のように、好きなことを仕事にして生きようとしている人は、企業側のルールや不備や矛盾に文句を言う権利はない。なぜなら、金と応援をしてもらって初めて競技をさせてもらえているからだ。プロとはそう言うものである。もし矛盾を批判したいのならスポンサーや団体から離脱して初めて言える、それが道理であって、そういうことじゃないだろうか?

ある選手が(名前は伏せる。世間にほとんど批判する人がいないので)組織のルールを避難しているが、しかし、多額の賞金をもらい勝利すればそれなりの地位が出てスポンサーもそれで企業のイメージが上り、競技の場所をもらえて、それを得る代わりに組織のルールに従わないといけないと言うのが当たり前でそれ以上にいったい何が不満だと言うだろうか?個人をもっと大事にして欲しい丁寧に対応して欲しい、ということだったら、どれだけ贅沢な対応を欲しがっているのだろうかと、おねだりし放題を疑う。

社会貢献の事業をしたり企業の歯車になって製品を作り人々の暮らしの役に立つ仕事をする、苦しくも社会の歯車として貢献する人たちだけが、社会や組織に対しての矛盾に正論をぶつけられる権利を持つ。これが平等なことだと思う。一見、誰もが言いたいことを言うことがはあたりまえだ、と思いがちだが、たとえ立場が弱者であってもそれぞれの置かれた背景を考慮しないでものを判断することは正しいこととは言えない。

好きなスポーツをやって稼いでいる人たちと、一般企業で上司に怒鳴られて言いたいことも言えず(最近ではやっと上司から誘われる飲み会をキャンセルしても良いかと言う議論がされている)、生活のために好きでもない仕事して暮らしてる人たちがほとんど日本を支えてる人たちであって、この人たちの方がどれだけ社会に大変なしがらみで縛られているか、一般企業に就職をしたことのないスポーツ選手に、わかるはずがないのだ。

逆説的にいえば、スポーツ選手が組織への問題を露呈することで、一般企業で上司に矛盾を押しつけられている状況が変わってくれるだろう的な希望をもし考えてるとしたらそれは勘違いである。会社員は賞金をもらって働いてるわけじゃない。企業で働き給料を得ることと、賞金を稼ぐ競技をすることと一緒にするのはおかしなことである。

もし競技(どんな運動でも)が純粋に好きなら、大きな野原で誰か有志を誘ってプレーすれば良いと。これで満足できない理由は、金も欲しい自分のレベルを知りたい、などと言う欲が出てくるからプロになってわざわざ国際の競技にでることを選択する人がいるわけだ。そしてその最たるものがオリンピックという名の優劣の極みと名誉欲の祭典である。