おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

国民のために働くと言った意味は裏工作に終始ということ、それだけであって、国民の窮地の場を救うとか、そういった当然の熱い政策もメッセージもなく、国民がバラバラになってしまった。

なぜオリンピックを中止したほうがいいと叫んでいたか?を、考えてみると、コロナウィルスの感染拡大を危惧してである。時間や酒を規制している飲食店への支援も十分に無い。学校や他のイベントを中止しているのになぜオリンピックだけ中止しないのか?国民に納得ゆく説明をすることが一番必要なことだったのにだ。「安心安全を」とだけの繰り返し。

人というのは(国民感情は)尾身先生らの科学的な立証よりも、多くの国民に訴える力で国民が納得すればそれはそれで十分正しい方向なのだ。それができていないから、ただ感染者数だけに終始してしまうのだ。

医者や科学者は究極は当然接触ゼロにして感染予防してほしいというのに決まっている。しかし、それでは人の感情を動かす言葉として非常に弱いし、皆同じ方向を向いて団結できない。

子供に「あの子と遊んじゃダメ!」と言われた子供は文字通り機械的に学習しただけで、人を(子供を)言葉で感動させて動かし納得させたわけではない。

感染者を増やさないこと=何もしないこと。これは先の子供に「遊んじゃダメ」とだけ言って終わる親と一緒で、人から言われてやってるだけで、責任を取らない子供(人)になってしまうのである。この子供が今の国民と同じである。その責任は親である国の代表者である。親であるべき以前に指導者にすらになっていない。

菅総理はボソッとどこかのマスコミに「中止してしまうのは簡単なことだ」と言ったというが、確かにそうだろう。が、その開催する苦難をなぜ説得できないのか?これはずばり、人を説得する言葉と惹きつける才能が無いことが原因である。その結果、国民の考えがバラバラになりマスコミもただ毎日の感染者数に一喜一憂になり、「この人を信頼して頑張ろうか?まぁやってみようか?!」という前向きな思考もできなくなり、大きな国の指標が暗闇になってしまった。

今回の開会式のお粗末さは、演出だけの問題ではなく、総理就任した時点からそうなるべくしてなったと思う。演出者が不適切だったとか、そういう問題が全ての問題だと思われてしまうのは、主犯が見えなくなっているからだ。

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冷静に思い起こせば、2020年(令和2年)9月16日に菅総理が安倍から引き継ぎ就任したときから、今回の東京オリンピックまでのゴタゴタが出るべくして発生したといえる。(その原因は下記で述べる)

就任時は好感度だったがすぐに暴落、その理由は感情のない棒読みの会見、自分の言葉で喋れない、その後、プロンプターを使って手元の原稿を読まなくなったが、そんなことで騙される国民ではない。すべては自分の言葉をもたないハリボテ人形の総理だったことがバレた。そして、権力を保持するために根回しと人事を握っていることが唯一の得意技で、国民のために働くと言った意味はその裏工作に終始するという意味で、国民をまとめるとか窮地の場を救うとか、そういった当然の熱い政策もメッセージもなく、国民がバラバラになってしまったのである。

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菅総理の言葉は「安心安全な開催を目指します・・・」、1億2千万人の人々を納得する言葉ではない。この無責任な総理のせいで日本は沈没してゆく。

田中角栄はただの代表ではなく国民の「親」だった。子供の声を聞くことができる親、ただそれだけで国民は十分だった。

もしも、田中角栄が今の総理だったら、オリンピック開催への反対も違う方向に向かっただろう。反対は反対としての意見を尊重し、しかし、田中角栄だったらこう言うだろう。

「みなさん。感染が広がって医療の逼迫も重々わかっていおります。しかし、この東京オリンピックは世界に日本はすごい国だ!日本国民は素晴らしいのだ!と、あらためてわからせるために重要な機会なのです。とくにアジアでは中国より盛大にしないと笑われてしまうのです。成功すれば皆さんの今後の仕事もうまくいくでしょう。感染者は増えベッドも満床になるかもしれない。それでも1ヶ月間、なんとか協力してほしい。これが成功したら、今後、世界が日本を見る目が変わる。そして、どこでも自慢できる国になるだろう。皆さんのため国のために是非、開催させてください!責任は全て私が取ります!」

と、力強くこう言ってくれたら国民の意識は、もやもやした訳のわからないものではなく統一された意識にまとまっただろう。同じ方向を向くことが大事なのだ。

しかし、今回の失敗は全て菅総理のハッキリしない態度と伝わらない言葉のせいである。それも去年の9月就任からずっと国民は悩まされ続けている。

無観客にする件も「いや、感染者は出ても大変だがそれを乗り越えてガンバろう!なんとかなる!」という意識になったかもしれない。

これは科学的に正しい検証があってこうするのだ、ということではない。むしろ、化学ではなく同じ方向へ向く意思の強さは、屈強に負けない力を生む。科学的に正しいかどうかは関係なく、すべては国民の納得、それが重要である。

あとあと、「あのときは感染者も大量に出て大変なことになったが、それでも開催して後世に恥じない作品を残せてよかった。」と、思えればよかったのだ。

それら、すべて前向きな方向にいかなかった原因は菅総理である。

彼はバラバラになった国民の価値観の責任を取るべきである。そして、平成から気の抜けたサイダーのように美味しくないのにただ淡々と暮らしていった国民にも責任がある。優れた感性は平凡な生活や時代には生まれない。絶対生まれない。お茶の間的でこじんまりした人気者のタレントやゲームやダンスにSNSといった主役になれない日常の楽しみ平凡なツールだけが主体になってしまった生活で、どんどんと日本(人の意識)が小さく萎縮して、終には価値観が幼児化した、と自分は分析している。