おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

この行動が地球上で今わかっている生き物の中で最上位の知的生命体の取る行動だろうか?

いままで、遊ぶといったら、外でコンサートやコンパや競技を観戦したり居酒屋で大勢で飲み会をしたりと、遊ぶといったらすべて外で行うことばかりだ。

オタクだでさえ地下アイドルのコンサートに大勢で集まって盛り上がることをしてきた。

人は自分自身の内面で楽しみを見つけることをしないで、外に刺激を求め、気分転換はすべて外でが基本で考えている。

健康的なこと、というと外に出ることが良いと言う人がいる。はたしてそうだろうか?外には健康になるような要素があるのだろうか?それは既成概念で思い込みじゃないのだろうか?

大きな空と気持ちいい空気は健康的だが、東京のどこにそれがあるのだろうか?地方の自然豊かな場所だったら良いかもしれない。そこが観光地じゃなければ。しかし地方の良い環境も慣れてしまったらその価値がわからなくなる。

こんなに人口密度が高くて、家々がすぐ隣に建っていて、上下左右に積み重なった箱に住んでるマンションなど問題外で、こんなに人と家と建物が密集している東京で、なんで外に遊びに行くのだろうか?

歳をとったからじゃなく幼い頃から人が密集する場所の危険性と動物的な原始性を感じていた。動物的というのは、まるでアリが巣の周りにうごめくようにコンサートやバーゲン会場や竹下通りに人が集まること。この行動が地球上で今わかっている生き物の中で最上位の知的生命体の取る行動だろうか?といつも思う。

内面発達遅れている。人々の行動を見ているとわかる。内面を、心理勉強しないと自分も他人も理解できない。そして理性的判断ができなくなる。

自分自身の内面は未知の領域である。自分の内面を見つめたら外で馬鹿話するより何億倍も有意義なものを見つけられるだろう。宇宙倫理というのは自分自身の内部に存在する。

禅僧のようになれたらいいだろう。みな自分の内面に問題を見つけたら、そうしたら紛争もテロも無くなるだろう。全てが外部に目を向けるから紛争や問題が起こる。

「楽しみ」というのは「かゆみ」のようなもの。

「かゆみ」は「痛い」の前兆。かゆいところをかきまくってついに重症化するように、快楽ばかり続けていくと欲求不満・判断不能・自制心不能・倫理観不能という苦痛が襲ってくるだろう。

自分の内面を探って楽しむことはSNSをやることではない。SNSというツールは外的なものではないから良いのかというとむしろ逆である。

SNSは自分を装い匿名性という卑怯な手を使い喜びよりも怒りを挑発するツールである。

神経を麻痺させるツール、それはSNS。自分の内面を見つめるツールではない。ただのストレス解消の無責任な発信ツール。次に来る恐怖はウィルスよりもっと恐ろしい神経破壊がくる。ラインもツイッターもインスタグラムもフェイスブックもやめよう。

 ↓ユニクロのバーゲンにウィルス流行中にも関わらず芋洗状態になる悲知的生命体。