東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

モノの持っている多くの表情を可能な限り省略し、人がそれを「そのもの」と感じるギリギリまでミニマムにする。人はそれを見て物の記憶を頭の中で想像し再現する。これが制作する側が行う「表現する」ということである。

金曜日に、テレビのチャンネルを回していたら、一時流行った「アナと雪の女王」だっけ?それをやっていた。漫画は好きだがアニメはあまり興味ない。

流行ったアニメだからちょっと観てみようーーと5分ぐらい流していたら、なぜか吐き気のような気持ちが悪くなった・・・

生理的現象?・・・で、気持ち悪くなったのである。

近年のアメリカのアニメーションは、CGで作ってる。彼らが目指しているのは「リアルさ」である。

生きてる人間のように、動かすこと。

難しいと言われている髪の毛の表情を作る。などなど・・

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目がデカくて頭がでかい漫画のバランスなのに、動きは人間のようにスムーズに動かし、髪も1本1本が動き、遠景の風景が、ピントがボケて一眼レフのように作られていて、3次元を意識して作られている。

これれもか!というくらに立体感や動きに力が入っている。

テクニックのデパートである。

髪の毛1本1本をリアルに動かす動画をると、実際、人の髪の毛はそのように動いていないし、そのように見えていない!実際に人の目に見えている動きとは違うのである。デフォルメされた作られた架空の動きだから気持ちが悪くなったのだ。

芸術やアート美術の根幹である「感じさせること」を捨てて、「見えるもの」を追求したために、「作品」にはなったが「表現」にはなっていない。

ただの「立体映像」で、それ以上でもそれ以下でもない。

 

テレビは5分以上観てられなかった。この表現に麻痺している人はたくさんいるだろう。近年の主流はこういった3Dの表現で、皆、慣れてしまったからだ。

自分にはこういう3Dテクニックの表現は「すごい」とも「楽しい」とも「感動」も、一切感じない。ただ気持ちが悪くなるだけ。

日本の浮世絵から続く平面的表現は、技術がないから2Dにしているのでは決してない。二次元で描くことの素晴らしさと可能性、そして、見る人に想像力を感じさせるために平面的処理を続けているのだ。

だから、CGでリアルに髪の毛が動いてスカートが本物の布のように動いて遠景がボケても、それは製作者側の技術の自己満足であって、リアルさが目的になってしまったために感覚の中にある大事なイマジネーションというものを刺激しない作品になってしまった。

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グラフィカルで平面的な日本のアニメは実は本物の風景を描いているのではない!

モノの持っている多くの表情を可能な限り省略し、人がそれを「そのもの」と感じるギリギリまでミニマムにする。人はそれを見て物の記憶を頭の中で想像し再現する。これが制作する側が行う「表現する」ということである

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「本物に近づける」ことは無意味。それだったら実写でいいわけである。

「本物に感じる」けれど「本物ではない」表現、それが、ものを創るということなのだ。描かれたものを頭の中で変換することがイマジネーションの活性である。小説を読んで登場人物や風景が頭の中で想像される、それが大事なのだ。CGでつくられた3D画像では人の頭の中でそれが行われない。

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ラッセンの絵(イラスト)に感動も何もない(自分は)のはそういう理由である。リアルに描いたものを見て人は「上手だねー」「本物みたいだねー」というだけで、作者の自己満足なだけ、それだけなのである。こういう絵を部屋や店に飾る人を批判はしないが、いったいどういう心理なのか、不可解である。