昨日の東京の感染者数はなんと
6人!
実際はもっといると思うけど、
良いんじゃない!この感じ!
小池知事も復活し、東京に明るい未来はある!?
ヨーロッパなどでは政府のロックダウンや厳しい義務・規制に反対するデモが盛んに行われている。で、市民が言ってることは、
「自由を!」
「自由を!」
「自由を!」
「自由を!!」
・・・だってさ。
アホちゃう?(* ̄m ̄)ぷっ
「マスクをしないのは個人の自由!」
「外出規制反対!」
「ワクチン接種の義務化反対!」・・・
と言って、全てを反対するヨーロッパ人たち。
「自由にどこにも行けないなんてヨーロッパ人じゃ無いわよ!」
って、女性が叫んでた。
どうぞ、どこでも行ってください。
でも日本には来ないでね(`ー´) クククッ
感染はそう言う自分勝手な人から人へ感染(うつ)る。
民族性だろうね。
フランス革命とかヨーロッパでの戦いで国が分かれて、
自由を勝ち取ったという歴史。
でも、もう何百年も前の話。
個人主義っていうやつ?(意味がわからないけどね)
「誰にも私を縛ることはできないのだ!」って、意地でも秩序を重んじない。
日本は集合から外れると怖いという意識が国民にあるのも事実。
他人と違うことをすると批判されたり、
「村八分」といういじめの暗ーーい歴史があるから、
個人主義なんて怖くてできない。
だから、感染症などの時にはとても有利。
小学生の時に学校行事でお寺に行って白黒の映画を見せられたのを思い出す。その映画のテーマは「村八分」。こわーー
教育だよね、村八分といういじめをしないようにという・・・
松本清張の「砂の器」ですよ!村八分!
中国は日本と似ているようで全く違う。
強権的な規制で感染を抑えている。国民の集団意識じゃなくて政府からの圧力。
中国人の市民は「強制的な政策だが、正しい」と、思っていると思う。
なぜなら、有無を言わせない政策で一気に感染者が減ったし、あっというまに野戦病院を建ててしまったし、感染が拡大している時には自由なんてそもそも無かっただろうが、厳しい政策の結果、感染者が減り、日常を手にしたことは結果、市民にとって利益でしかないわけである。
欧米でここまで感染が広がったのは、「人から人へ感染する病気」ということがわかっていて自分たちが「自由を誰にも侵害できない!」と、マスクをしないで宴会しカフェで長時間お茶をし酒を飲みキスをしハグをし、だから広がったのに、それでも私は自由!と叫ぶ。
感染症の対策で密集を避けるよう、マスクをつけるよう、感染初期に勧告されたのに、波が収まると予防などそっちのけで自由奔放に行動する、だから感染拡大する。
日本のように「お願い」では、彼らは予防しない。政府は「義務化」「強制」という強い行為をするしかない。なのに、そこでも矯正や義務はおかしいとデモをする。自由を!という、ほんとに変な人たち。
欧米人たちは事あるごとに「自由!」「自由!」と叫ぶ。
自由大好き人間。何でもかんでも自由かどうかが、問題になる。
自由は素晴らしく尊厳があり美しいものだと。
では「自由」とは何?
すべてにおいて、強制されないこと?
人から人へ、感染してゆく恐ろしいものが広がっている時、自分一人の問題ではない状況下では「自由」はもう意味を成さない。
彼らは、今、誰かに拉致されて監禁されているわけじゃない。たかが外出が規制されているか、マスクをしなさいと言ってるか、街から出るなとか、そのぐらいの規制なのに、それで感染が減るなら苦痛でもないでしょうに。
ただ、ワクチン接種の義務化は、いただけない。
接種は本来は「選択」であるべきである。ただ、ここまで自由自由!と叫んで予防しない人たちに対して政府は感染が広がらないためにワクチン接種を義務にするという選択肢はある。人々が密集をやめない、マスクもしない、夜遊びもやめない、だからワクチンで防ぐしか無くなってしまったからだ。
マスクもしないでお喋りもキスもハグもCLUBも宴会もやめないから感染が広がるのになぜかやめない人たち。
自国の市民のことをよく知ってるから生半可な自粛ではなく厳しい義務を課す。
市民が流行を収束させよう!と自己に厳しく思う心と、このままでは国が滅びるという危機感が無く、状況判断する想像力もなく、今一瞬でも自由がない暮らしに不満を持つ人々、だから感染が広がってるのに、全て政府の責任にする。厳しい規制を緩めたイギリスは過去最高の感染者を記録し続ける。
このままで、欧米に感染流行の収束はあるのだろうか?