東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

人と人との関係

大阪新天地で、むごい事件が起こった。悪い奴が自分勝手に起こした犯罪である。亡くなった人も遺族も絶対に納得がいかない。どれほどの怒りと悔しさと悲しみがあるかと思うと、犯人への憎しみしかない。

思うことはたくさんあるが、この世界には人間以外に、しゃべらない植物や山や川や、そういったものたちも生きて存在している。彼らは決して自分の利益のために変わらなし悪さをしない存在。しかし彼らは確実に生きている。当たり前に存在するから忘れがちだが物言わぬ彼らは「正しい存在」だと皆知っている。そういった「正しいもの」も生きているこの世界で、人間だけが自分勝手なことを起こし、人を憎み、怒り、犯罪を起こす。

この地球の中で、規則を破り犯罪を犯す存在は人間だけだ。自然も動物も植物も鉱物も人間以外全ては、その摂理を悪用しないし正直に生きている。

しかし、人間はどうだ?良い人もいるが悪い奴もいる。それが問題だ。そもそも良い人もいて悪い人もいるということが、他の生き物にはあり得ないことだ。

人との問題。生きていることは、全て人との問題だと言っていい。

ということは人と関わらなかったら、何も問題は起こらない。

寂しいとか、共感したいからとか、若い時はとくに人と人との集団が規則になっている(学校)ために、欲しくもない問題を抱え込む。そうかと思えば社会に出ても上司と部下、同僚、など人との関係で問題を抱え込む。

 

犯罪を起こす人の心理など知りたくもない。どんな境遇でそうなったかなど知りたくもない。彼らを理解することなど無駄である。正当な理由などないからだ。未然に防ぐために研究するためだったらその筋の研究者に任せれば良い。

持論だが、犯罪者は生まれつき犯罪者である。ギリギリ犯罪を起こさないで終わる人もいるだろうが、それでも同じ犯罪者の要素を持って産まれたことには変わりないと思っている。分析は専門家に任せて、すべての犯罪の大元(おおもと)をさかのぼれば、人と人との関係に行き着く。人に関わらなければ何も起こらない。しかし世の中は会社も学校もバイト先もどこもかしこも、人がいる(あたりまえだが)。

人がいることが問題なら、これ以上生まれつきの犯罪者・変質者に出会わないために、専門家が考えることは犯罪の予防で、我々が犯罪者に出会わないようするには、人が大勢いる場所に行かないこと。たとえばどうしても病院に行かなければいけない、、、という理由があってもなるべくそうしない方法を一生懸命に考えること。人との接触、密集を極力避けること。ビクビクして生きる必要はない、上手に人に近づかない方法を考えること。これはまさに、新型コロナウィルスの予防ではないか?

(この場合の『人』は見知らぬ他人である。近親者はとは違う)