おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

2000年以上もの長い間、戦い、殺戮が続き、何万人、何千人も死人が出て、大地に血が染み込み死肉が散らばり、憎しみが覆い、そんな汚れた大地が、なぜ「聖地」なのだろうか?

おはようございます ( ^ω^)おっは

 

執着する、依存する、

それは 暮らしの周りのことだけだと思っていないだろうか?

どこどこ出身だ、とか、生まれた場所にこだわることも、地方生まれでは当たり前のようだが、生まれた場所を大事に思うのは素敵なことだし、郷愁に浸るのもいい。

人は、たまたまそこに生まれたのじゃない、理由があってその場所に生まれたのだと思う。意味があるとすれば、前世で自分が蒔いた種(行い)を刈り取るため、いい時期、いい場所、いい親に生まれる、ということである。

でも、だからといって、そこの場所に固執して自分にとって重要で誰からも奪われないよう固執する、そんな、そこまで熱狂するように思うことは執着、依存の何ものでもないと思う。

生まれた場所での人生で、カルマを返したらもうその場所の役目は終わって、ただの何でもない場所(自分にとって)になるというのが、自分の考えだ。

 

もっと大きなところを見ていくと、

キリストが磔になったゴルゴダの丘にこだわったり、

ムハンマドの聖地、ユダヤの聖地イスラエルにある神殿跡にこだわったり

嘆きの壁にこだわったり

(注:これらは日本の聖地とは意味が違う。日本の聖地は人は介在しない。人がその場所を奪いあったりはしない。ただ神が在るとされる場所である)

 

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知る限りでは、イスラエルのユダヤの神殿後の周りほど、人のこだわり、固執、執念、など、この地球上で、ありとあらゆるエゴが集中している場所はない。

2000年以上もの長い間、戦い、殺戮が続き、何万人、何千人も死人が出て、大地に血が染み込み死肉が散らばり、憎しみが覆い、そんな汚れた大地が、なぜ「聖地」なのだろうか?

こんなことを彼らの宗教の神が納得するのだろうか?おかしなことである。宗教を持っているのなら、なぜ、この疑問を持たないのだろうか?