おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

何が残ったのだろう

ROC フィギュアのワリエワ15歳。が、演技を失敗。

自分の妄想です。

彼女は わざと失敗した。

誰もがそう思ってるはず。

選手はコーチや指導陣のたくらみはしっている。知っているが逆らえない。

これだけ疑惑が大きく問題になってしまったので、15歳の選手は考えた。このままでは仲間の選手に迷惑がかかる。そしてコートや指導陣には憎しみがあるので仕返しがしたい。

だから自分がメダルを取らないよう、3回失敗することを考えた。

自分一人で考えたと思う。

だから試合後は悔しさでずっと泣き続けていたのだ。

追記:

かのじょの使った曲は「ボレロ」であった。これはバレエ組曲で、この曲で最初に踊ったバレエダンサーのニジンスキーは、それまで高く飛ぶことをよしとして来たクラッシックバレエに対して、まったく飛ばないことに挑戦したのだ!それは革命であった。テクニックを競うことはなんと無情なことだろう。。。という気持ちである。

技術で競うことは行き着く先は誰もが同じ技術に達する。それを追い求めてもしょうがない。そのニジンスキーのボレロが、彼女の失敗にダブって思う。失敗がわざとだったら、いっさい回転をせずに演技していたらどうだろうか? そのほうが抗議の意思が伝わっただろう。思い切って飛ばない演技にすれば、失敗ということを背負わなくてよかった。本当の失敗でなかったとしたらの話だが。

競うことに、何が残るのだろう。なんの意味がるのだろう。

あぁ、実に不健全。