ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

世界のいろんな場所に現れる聖母マリアの出現、これを信じるかは自分の直感を信じること。あなたにとって真実でも自分にとって偽りですというスタンスでいいと思うのです。

おはようございます (=゚ω゚)ノぃょぅ

 

月ですよ! 月の数字が大きくなると、なんだか嬉しい気がしませんか?

このコロナの時代にジタバタしても、何も得られずに疲れるだけです。

だったらドンとかまえている方が潔いでしょう。

明るく前向きにね。

 

善と悪 ・・・これは永遠のテーマじゃないでしょうか?

精神世界の文献を読んでいると、その教え、予言、はなのか、なのか、正しいのかだまされているのか?が、わからなくなる時があります。 気が弱くなって不安になってる時に読むと、気がついたら無意識にあっさり洗脳されてたりと、だまされてるかもしれない。まさか悪に遊ばれていたなんて、と気が付けばいいが、気がつかないまま一生を終えたりして・・・。

そんな精神世界の中でいま話題になっているのは、世界のいろんな場所に現れる聖母マリアの出現、現象である。 何それ「?」と思った人も多いだろう。これは1980年代ごろに紛争地ルワンダで初めて現れた聖母マリアが3人の子供に預言を残した、という話から始まった。 その後、フランスの奇跡の泉で有名なルルド、そして今、話題になっているのは、1891年6月、当時ユーゴスラビアだったボスニア南部のメジュゴリエで6人の子どもたちが聖母マリアが現れたと証言して以来、同地には毎日のように聖母マリアが現れるとされている。ここでは10の予言で、やはり若い子供にだけ暗号のようなコピーのできない文字を渡され(何それ?と思う)、最後の10の予言は人類にとって最悪のシナリオだという。まるでイルミなティーカーのようだな、と思った。 その預言の発表は3日前に神父が発表する決まりになっている、、、と(何それ?と思う)。 しかし、イタリアのローマ・カトリックのフランシスコ法王は自身の個人的な見解として「明日、この時刻にここへ来ればメッセージを伝えるなどと、聖母マリアが言うわけがない。聖母マリアは、毎日メッセージを届ける郵便局長ではない」と語った。

こういう話が今、コロナの不安な時代、ロシアの戦争、そういう時代だから話題にされている。

キリスト教ではない場合にはマリアの存在はあまりに唐突である。代名詞としてのマリアであるならば「未知なる存在」または「創造主」か「創造主のスポークスマン」とでもいうか、これは、人類のために何かを伝えるために出現したのか?それとも、人類をドツボに陥れるために神を名乗って悪が悪さをしているのか?とも取れる。

日本でこういう話は、頭のおかしな人か熱狂的なオカルト信者か、雑誌ムーのファン、というジャンルでしょう。自分もどうもこのマリア出現はピンと来ません。それこそ直感が1mmも動きません。

預言で(あえて予言じゃなく預言)は、占いと同じで未来に悪いことを言うことは大体が悪霊の仕業です。人を不安にすることが彼らの生きる糧なのですから。

1980年代のファティマの預言には大量虐殺が起こる。。。といった預言をしたそうだが、実際に14年後に虐殺が起こった。しかし、それは予言のとおりになった、と言うことではなく、50%の確率で実際に起こった事件に預言を当てはめれば当たったことになる。算数で誰でもわかることだ。 そして紛争地体で起こりそうなことを言っておけばいいだけのことだ。 日本だったら高齢化だから「車が暴走して店に突っ込む事件が多く出るだろう。。。」とか。 もし起らなかったらその預言を埋没さえればいいだけのこと。たくさん預言を言うといことは当たる確率が高くなるということに過ぎない。だからマリアは(マリアとされている悪かもしれない存在)は当たる確率を大くするために数多くの悪いことを世界中に伝え現れているということだろう。

しかし、この話を信じるのか嘘だと思うのか判断は、どうしたらいいのか?

それは、自分の直感を信じる。 という方法で感を鍛えることがいろんな悪に惑わされないで良い、ということです。

しかし直感が鈍っていたら・・・ いや、何回も試せばいいだけのこと。疑うなら1回で信じずに、次の日にもう一度読んで感じることを信じられるか心に聞く、それでも不審ならまた次の日、また次の日と、スーッと自然に納得いくまで、ピンと来るまで考えて、それでも何も納得できなかったらそれは「うそ偽り」でしょう!それでいいのです。そう思う。

あなたにとって真実でも自分にとって偽りです

これで いいと思うのです。

正しいことが全ての人にとって正しい、というのは、何か不自然じゃないですか? だから自分自身の直感だけが、正しいのです!(自分の感、心の深層には悪は入り込めないという前提ですけど)