ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

苦しんで弱っている人に対して同じように苦しむことが思いやりじゃない。

おはようございます o( ´ o,`)。o 0/オハヨぅ

 

土曜日です。あっという間に週末になった、という感覚です。

きょうはどんな日になるでしょうか?

もうかってる会社は休みだと思うけど、飲食業や行楽地の店などは稼ぎどきで みなさん出勤でしょう。ご苦労様です。

ロシアの侵略テロ行為の話は、あまりしないようにしようと思う。 重大なことだし目をつむってはいけないのだけど、いまの日本で、普通の生活の喜怒哀楽がとても大事だと思う。その理由を書きますが、 ウクライナの人が苦しんでいるから自分達は楽しんじゃいけない!気楽にしているのは不謹慎だ!同じように頑張るんだ!など思うことは彼らに対する同情の念でしかない。同じように苦しむことで自分が善良な人間だ、礼儀のある人間だ、という証を感じたいだけである。それは相手にとって何も役に立たない。自分のためだけの感情でしかない。 そうじゃなくて弱ってる人には強く明るいパワーを相手にあげること、不安を明るさで消してあげること、それが正しい対応なのではないでしょうか。

政治や行政、企業などの支援と個人の支援は全く違う。募金以降のことは同じようなことはできないしする必要はない。個人にとってできることは彼らに強さと希望を与えること。これは精神的なことで直接的なことじゃない。甘っちょろいと思われがちな精神論だが、これが1番足りないものである。毎日毎日のマスコミの報道で誰もが同じ恐怖と不安を持ってしまったらこの世界はどうなってしまうと思いますか?

「怒り」「不安」「恐怖」「闘争心」といった負の感情だけが多くの人から発せられると、世界中に、街に、家庭に、ちょっとした会話に、その不安の意識が渦巻いて大きくなる。影響のない国でもどこを向いても暗く不安しかない日々になる。それは人が生きるために大事な、活力(生きる力)の低下を意味する。誰も明るい未来を発せられなくなってどこにも希望が見えない状態になる。これがすごく危険なのである。

苦しんで弱っている人に対して同じように苦しむことが思いやりじゃない。そうじゃなくて、活力のある人が不安な人へ、希望を感じてもらえるよう自分の強さを分けてあげることが大事なのである。だから普段と変わりない生活をすることが大事なのだ。