東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

食べることにおいては 飽食の時代。 暮らしでは 道具に支配されている時代。

穏やかな日曜日です。

きのうは雨風が激しくてひどかったけど。

 

料理番組が非常に多いのは、一日の中で食べることが重要だということだ。

あたりまえに誰もが食事する。

朝、昼、夜と3回も食事タイムがある。

食事と食事の間に、仕事や暮らしがあるようなもの。

食事と食事の間は、次の食事をするための時間。

食べることと料理することが 一日の中で時間を占める。

人の楽しみは、食事だと言っていい。

食事ができなくなった人、病気の人は、一体何を楽しみに思うのか?

人は食事をしなければ命が無くなる。

だから、他の趣味はやめられても、食事だけはやめることはできない。

食事 トイレ 睡眠

この3つのために人は生きている。

人が生きるためにこの3つをしないと生きられない。

ほとんどの人はこの3つを基準に毎日の暮らしの計画を立てている。

食事を憩いのひとときとして素敵に演出して食べることは、人生に喜びを与えてくれると思う、けれど、その食事がただ空腹を満たすだけの三食立ち食い蕎麦のように一食3分で終わらせるとしたら、人生のなかで食事以外の時間は何を喜びとするだろうか?

___何を理屈っぽいことを言っているのか、というと、自分は食事を大事な時間だと思い過ぎていたと思う。

家族が集まったり恋人とのステキなデートに、料理の先生だとか、料理や食事にたくさんの時間を使う人ではない場合、食事というものに重点を置くよりももっと大事なことがあるのではないか?もっと一日の中でできることがあるのではないか?と、思わないだろうか?

たとえばどこのチャンネルを回しても、職場の弁当、タレントの料理、大食い、大型ショッピングセンターの食材の買い物、など、人はそういうものに興味を持ち過ぎるから、いつの間にか三食に時間をかけることが当たり前になってしまった気がする。

育ち盛りの子供がいる家庭はたくさん料理を作らないといけないだろう。そして、その食事の時間が家族の喜びの時間になっているだろう。人にはそういう時期はある。しかし本来、一人の人間はそれほど食事に重点を置く必要があるのだろうか?と思う。

20年前は携帯電話など持ち歩かなくても何も不便はなかった。必要もなかった。現代は電話はしなくてもゲームや遊びアプリなどの生きるにまったく必要のないツールを肌身離さずに持つことがあたりまえになっている人たちがほとんどである。

食べることにおいては 飽食の時代。

暮らしでは 道具に支配されている時代。

もっと昔に戻れないだろうか?

意識だけはアナログに戻りたい。

絵画を鑑賞するような、

何も道具をつかわない自分の心の感覚を磨きたい、そして楽しみたい。

それを言いたかった。