おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

いい死に方は、人生で自分自身をどれだけ楽しんだか?じゃないだろうか?

おはようございます(*゚_っ゚)ノ゙

 

関東は雨のような曇りのような、はっきりしない天気。

 

刺激が一切ないから、無印でも冷やかしに行ってこようかな・・・

一体何を作ってるのー?って思いながら。

自分が中学生の頃、ざっと50年近く前に近所の西友ストアの2Fの階段の横に、無印って名前の畳2畳ぐらいの売り場があった。売ってるものは、繋げられるシートクッション、お風呂道具など、冴えないものばっかり。でも長く頑張ったね、ここまで。

でも人生は、ながく生きれば素晴らしいとは、思わない。

不思議な感覚なんだ、死にたくないけど長生きしたくない

これはどういう思考なんだろうか?

長く生きても、周りの知り合いや親しい人は皆死んでしまったら、虚無?空虚?なんだかむなしい気がして。そして、ケアセンターなんかで子供のうた歌いながら過ごすなんて、ゾッとする。

適当な年齢(80ぐらい)で、寝たきりにならないで、ある日スーッと魂が抜けて死にたい。

死は怖い。まだ、ぜんぜん達観できてないし、一生できない気もする。死が怖くないようにいろいろな文献や思考を巡らせているが、なかなか「しょうがない」というところまであきらめがつかない。

気になるのは、「死に方」だと思う。

楽な死に方だったら、長生きしても良い。

でも、苦しい死に方だったら・・・?

これも、運命ということか?

もう決まっていることなのか?

それか、後悔しない生き方をしたのか?で、死に方が決まってくるのかもしれない

つまり、どんな人生だったのか?べつにすごい偉業を残さなくてもいいし、人のためになったかどうかも、そこまで突き詰めることもない気がする。

人生って(人に迷惑がかからなかったらの話だが)もっと自己中心でいい気がするし、自己中といったのは、人に遠慮をしてやりたいこともできず自分の才能を殺してしまったり、そういうのは来世にやり残しを持ってくようなものじゃないだろうか?

いい死に方は、人生で自分自身をどれだけ楽しんだか?ということで決まるんじゃないか?と思う。