ろくろく人生レポート

東京おとこひとり 改め:66才からの人生探求レポート

何事にも理由がある。

おはようございますヾ(@⌒ー⌒@)ノ~♪

 

5月は半分が過ぎた。あっという間・・・でもなかったな。

世界情勢が不安定なのは一番の問題だけど、よくも毎日毎日、いろんな事件、事故、が起こるな、と思う。

それはなんでだろうか? と、考えてはいけないのかもしれない。

物事には何の必然性も偶然もないのかもしれない。運命も宿命もないのかもしれない。しかし、なぜ?と考えてしまうのは「意味のないものはない」と思っているので、どうしても理由を考えてしまう。考えすぎるのは精神的にあまり良くないことだが。

病気も、事故も、事件も、何が原因か理由や病名が知りたいと思う人がほとんどだと思う。理由を知らないで親しい人の死や事件をそのまま忘れていくことはむずかしい。

理由がわかれば、なぜか安心する。

この心理は誰もが経験してると思う。それが、

「失恋」だ。

たとえば一方的に相手から別れを告げられた場合、理由を知りたいと思うのが普通だが、その理由が納得のいく理由だったらいいが、たいていの場合、

「飽きたから」

「ただ好きじゃなくなったから」

「他に好きな人がでいたから」

といったくっだらない理由が多いと思う。

そう、たぶん、恋愛が壊れる場合はこういったくっだらない理由である。運命の人・・・なんてドラマだけの世界。でも、人は出会った理由を作りたがる。ただの偶然じゃなくて運命が出逢わせた・・・なんてね。

この世界に起こる不幸な事故、事件、災害、または楽しい嬉しい出来事、それらにまったく理由も運命も宿命も星の導きも、すべてが何の因縁も無かったら・・・?と、考えると、寒気がするくらい虚しくなる。ただ命があるから生きている。。。というだけになってしまうし、死後の世界も魂も何も無くなってしまう。そういう考えをする人は不思議にたくさんいる。

テレビの画面がプツッっと切れて真っ暗になるように人生が終わる。と、人の死をつぶやいてる普通の主婦がいた。普通の主婦がそういう考えをしてるのは、当たり前なのだろうか?誰もがそういうふうに死後の世界もなく、霊魂もなく、先祖の守りなどなく、何もない・・・と思っているのだろうか? それは恐ろしいと思った。なら、どうしてお墓参りなどするのだろうか?とても矛盾である。

すべての出来事は時間軸のレールを過去→現在→未来→という順に流れているのではない・・と、思う。これを言うと長くなるので今回はやめておくが、

何事にも「理由がある」。これは絶対である。