東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

楽しみも感動も優しさも全て自分自身の中で完結していてる。

自分の性格は、事件や犯罪や世の中のモノゴトに対してははっきりした意見がある、と思っている。でも性格はというと、

 即決できない、しない。

 勢いがない。

 慎重な性格。

でも神経質ではない。潔癖症でもない。汚れにも強い。

コロナの感染予防も非常に慎重である。

買い物も、即決しないで かなり考えてから買う。

そのせいかわからないが、喋りのテンポは非常にスローである。

たとえば、人から自分の状況を説明してほしい、と言われると非常にこまる。なぜなら、自分のことに関しては簡潔に要点だけをピックアップして適当にはしょって(少し嘘であっても)短く文章を作れないのである。でもこれは精神疾患ではない。人々はいつも結果だけを知りたがるからである。丁寧に細かい部分など知りたいと思わず、結果を知るのを急ぐ人が多い。そういう時代なのだ。

Aなの?Bなの?どっちなの? と。

自分はどっちでもないのが答えなのだ。AでもあるしBでもある。

自分は、周りの人間の方が間違っている。と思っている。

モノゴトは結果が全てじゃない。そこにいくまでの道のりがあって結果がある。しかし人が知りたいのは面倒な道程じゃない。あるとしたら週刊誌ネタのゴシップ的な出来事にだけ興味を引くゲスな人だけ。

たとえば、久しぶりに会う人との会話で、

相手「元気でした?」

 私「おかげ様で元気でした」

しかしこれが、

相手「元気でした?」

 私「完璧に元気とは言えないですが1週間前まで調子悪くてでも今はまぁまぁ調子はいいです」

などと答えようなら、相手はこんなはっきりしない答えは必要としていないのです。別に細かいことは面倒だと思っていて、期待している返事は 元気か?病気か?の違いだけなのです。人との会話は気の利いたものじゃないといけないのです。だからとても面倒です。

心療内科で診てもらいたいと思う理由にはいろいろあると思う。理由のひとつに、人との対話がうまくいかない、緊張してしまう、周りの人は私に対して敵対的、排除的な対応をする人が多く、それを悩む人が多いのじゃないか?と思う。そして、「相手は私より優れている、人との関係が調子良くできる人は偉い」と思って自己嫌悪になり自分を否定してしまう。だから心療内科で楽になれる方法を探す。自分もそういうことは良くわかる。しかし、自分は、

周りの人間の方が間違っている。と思っている。

周りの人間こそ間違えに気づき悩み心療内科に通え!と言いたい。

自分は「相手よりダメ人間だ」と思っていない。自分は周りの人間は、適当でいい加減でせっかちで優しくない人間だと思っているので、自己否定はなく、だからといって考えを押し付けることもなく、かといって相手を無視するわけでもなく攻撃することもなく、ただただ、周りの人間の中には自分のことを理解できる人はいない、とわかっているのでとても楽だ。寂しいということも一切ない(強がりでなはい)。誰と連むことも興味も楽しくもなく、楽しみも感動も優しさも全て自分自身の中で完結していてる。周りから見たらたぶん「孤独」「孤立」と思うかもしれない。