東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

人の判断

湿気が多いけど過ごしやすい天気だった。買い物があってショッピングセンターに出かけたけど、やっぱり土曜は人が多い。人の間をすり抜けるのが一苦労。

人の間を・・・と書いて思った。「「人の間」って人間っていう意味じゃない!!!

それにしても、あまり怒り狂っちゃいけないのだけど、「歩きスマホ」(この言葉をいうのも書くのも嫌なんだが)の奴ら、なんであんなに普通に存在してるんだろう・・・

本当にわからない。ゲームだかラインだか何だかくだらない遊びしながら歩いて全く前方を見ず。それにしても思うのだけど、主婦も学生も子供も歩きスマホをやってる奴らは姿年齢全く違うのに皆共通していると感じる。それは非常識で徳がない、という以上に、無関心という共通性。何に無関心か?それはリアルな人に対しての無関心。何年何百年と人が作ってきた「人の間」という認識を、全て削除した奴らである。

人にぶつかろうが自分がどう見られようが全く無関心。あの通信機器の中だけが彼らの興味ある世界で、それ以外の全ての倫理観も社会性も捨てて縦14cm横7cmのなかだけで実際の人間など関係なしに楽に生きているのだ。

ますますバーチャルへの興味が大きくなり新しいアプリケーションを死ぬほどダウンロードし、毎日充電しまくる生活。はっきり言ってこの文化は人間性を失わせた。

今、この片手に収まる機器が支配する世界、に、気がついたのはイーロンマスクとマーク・ザッカーバーグだ。彼らは強かに、このメタバースを使って次世代の人間を支配しようとしている! 今から未来にかけて歩きスマホや依存症の奴らは彼らの奴隷になる。

自分が人を判断する基準は、感じが良いとか優し感じとか笑顔が良いとかそんなのは2の次だ。「歩きスマホ」をしているか?していないか?またはスマートフォンに依存しているか?ユーチューブにインスタグラムに洗脳されているか?いないか?である。

もちろん、全て「していない」人が自分にとって素晴らしい人だ。

森山未來という役者がいるが彼はスマートフォンを持っていないと話した。理由は言わなかった。じゃぁ、電話連絡はどうするのか?という質問は公衆電話を使うと言った。彼の風貌や踊りを見るともっとちゃんとした理由があるだろう。そういう人と話をしたい。