この先2週間の天気予報を見てみると最高気温が17度前後という感じ。たぶん11月いっぱいは極寒、、、にはならないでしょう。
それでも明日は寒いと聞いて、きょう初めて電気毛布を布団の足元に設置した。高い温度だと喉がガビガビで逆に体に悪いので、いつも最低温度「1」に。
いま気になってるのはコロナ感染者数がどのくらいまで上がるか?それによって街や店や施設での「気をつけ度」が決まる。あくあでも自分の基準度。
自分は絶対に感染したくない派だから感染防衛にはかなり気を使う。でも苦にならないのは人の多い場所が昔から嫌いだから、マスクと消毒以外は実は昔と何も変わらないのだ。人と連むこともしないし、スポーツ観戦もコンサートもイベントも一切行かない。人が多くいる場所に行くとしたら、スパぐらい。でも平日のゲキ空きの時にしか行かない。
ワイドショーで橋下氏(元維新の会)が「イベントとか人の集まるのは人間として基本的な喜びで・・・」などと言ってたけど、これは自分中心の真理にしかあらず。そうではないという多様性のある他人の心理に乏しい発言。他の出演者たちも同様にイベントや皆であるまることへの賛辞。おかしいよね。事実、ここに人が集まることが不快な人(自分)がいるわけだから、もし彼らが正しいなら自分はなんておかしな人間だろう、となってしまう(おかしいかもね)。
彼らのような人からしたら、自分のように人が集まったりみんなんで絶叫したり騒いだり共有したりすることが楽しくも興味も無い人がいることがわからないのだ。
そんなことを思い出して書いているが、きょう、たまたま付けていたテレビ「YOUは何しに日本へ」という番組を見てたら、アメリカ人の女性をインタビューしてて、彼女は長寿の理由が知りたくて沖縄の琉球大学に留学、植物にその理由があるのでは無いか?と思って研究していたが、長寿の理由が他にあることがわかったという。それは、、
不安にならないこと が、長寿になる理由だと結論づけた。
そして不安にならないようにするには、人と人とのコミュニケーションをすること、精神の力 だと言った。
これにはちょっと驚いた。アメリカ女性が精神のパワーのことを、不安が長生きにつながる、といった東洋哲学的なことを言って、でもそれはすごく正しい。
でも人と人とのコミュニケーションが不安をなくす。。というのは自分には逆だ。しかし、もしかしたら沖縄のような場所に生まれたら、そういう感情になったかもしれない。
「不安」は全ての精神、肉体を老化させる。
・細胞の代謝を下げる。
・免疫細胞を少なくする。
・体力を失くす。
・やる気をなくす。
全て「不安」が原因である。
でも、目に見えない不安という感情がどれだけ重要な作用をするか?ということを日常生活ではつい忘れて、とくに都心では1日に一度も不安に思わない人は誰もいないだろう。仕事の不安、人間関係の不安、介護の不安、コロナ感染の不安、病気の不安、借金の不安、騒音の不安、わけのわあkらない不安、、・・・あげたらきりがない不安だらけの毎日。不安を少しでも少なくすることが人生の目的と思ってもいいのでは無いか?と思った。