東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

褒めすぎは変だよ

4月、春には屋内でのマスクをしなくてもいい、、となるそうで。

いま、実際、外でもマスクをしてる人がほとんどだけど、ここ最近はしてない人をよく見る。その人の目を見ると、ちょっと緊張したような、何か言われないように張ってるような、そんな感じがしている。

日本人の気質がハッキリ出るマスクつける・つけない問題。

 

べつにKAWAI OKADA ブランドに恨みなど一切ないけど、QVCをリタイアして商品アドバイザーになった渡辺公海様が、尊敬するKAWAI OKADA を異常に褒め称えて忖度するので、それはおかしいだろう?と、おもったので書いてます。というのも、ほめ方がすごいんです。普通に説明してトーンを抑えた方が逆に服が素敵に見えると思うのに、彼女が食事もしないでデザインをしている努力家と、素材がすごく良い&パタンナーが優秀ですごい、カーディガン専門のデザイナーがいる、とか、モノ作りをするなら当たり前のことを毎回、特別なことのようにほめすぎるので、いったいKAWAI OKADAの周りの人間関係はどうなってしまってるのか??と思う。普通に商品を紹介した方がすーっと自然に頭に入ってくるのに、まわりが異常にほめすぎるので変だな、と思ってる人、たくさんいるんじゃないだろうか? いや、商売だから自慢するのは当たり前なのだが、

自慢はいけません。

努力の押し売りもいけません。

若く可愛らしいナビさん。でも、KAWAI OKADA ブランド、ぜんぜん似合ってないと思いません? いつも思ってるのは、ナビが着るのだけど誰もにあってない、と思うこと。一言で言ったら「変」な服。

例えばこのカーディガン、カットが変に斜めに長いし、ラインを入れるところなどはコンサバなのに変にオーバーサイズだし。上の画像の白い上下セットはコクーンシルエットだけど、いまにも体から服がずり落ちそうな印象ですんごく「変」。

KAWAI OKADA ブランドは作った本人=KAWAI OKADA しか似合わないと思う。

これ、つまり分析すると、体のラインを無視して、型紙などがあってないようなサイジングで作ってるために、女性の綺麗なボディラインを無視した服、体を美しく見せよう!という意識がゼロ、ということ。

実際彼女が言ってるように体のラインを、お尻のむっちりを出さないように、、というけれど、服というのは実際に着る人の体のラインが実際以上にすごく良く見えるようなパターンが優秀な服だと思う。服は体のラインを隠すものではない。人間がそれぞれもっているボディーの個性を引き出してこそデザインの醍醐味である。尻を隠すこと、ウェストを隠すこと、O脚を隠すこと、顔を小さくみせること、それが重要課題ではなくファッションデザインのオプションであるべきである。

だけれど、KAWAI OKADA ブランドは全て肉体を無視したカッティングであるため、服だけ体から離れているような見え方、になってしまっている。これではハンガーに掛かっているときだけが1番綺麗に見えるような、そんな気さえする。

公海様が代役で出演。彼女、太ってもいないし細いけど、KAWAI OKADA ブランドが似合ったのを見たことがない。この服のコンセプトは部屋着だけど、公海様、似合わないよー。パンツの短さが妙にカッコ悪いし、肩パットのせいで不自然に肩が上がってる。右のナビもカーディガンが肩からずり落ちちゃってるしね。

人間は左右対称のボディーの人はあまりいない。というか左右違うのが人間。だからパターンで体の均整がとれているように見せるわけだ。それが、彼女の服にはない。

つまり、オーバーサイズで体を隠すことをしている。それでは人の体は綺麗に見せれない。

思うに、KAWAI OKADA ブランドの売れすじ「肩パットインナー」は肩があると服が決まる!と豪語されている商品。でも、肩を作るインナーはすごく老ける。それにすごく不自然でルーズな服にカチッとした肩をつくると柔らかいイメージが肩のシャープさと打ち消しあってよくわからない服に見える

公海様の服、肩をなで肩にして、腕など出さずに全身をアラブ風に肌を隠しての着方を意識したら、こういう布をまとったようなデザインは良くなると思うが。

モデルは一応似合う・・・とおもいきや、似合わねーー なんて言うのか、これ、どう言う服なの??というのが正直な感想。 布を切って縫った雰囲気は原始的なイメージなのか?アラブ風なのか? でもモデルのパンツは意味なく短いし腕は細く見えるようなパターンで胸囲サイズが大きすぎて妙におっぱいがデカく見えて上半身が重く見えるし、で、それは三宅一生とかそういうアートだったら見るほうで納得できるが、お出かけのようなコーディネートスタイルで、でもルーズなパジャマにしか見えない素材で、なんともはや・・・

大学生の頃、群馬桐生に遊びに行ったとき、桐生はその当時はデザイナーズブランドのデザイナー、つまり三宅一生、山本寛斎、山本耀司らが、デザイン画を持って布を探しに来ていたのが群馬の桐生のその工房。その工房に縁があって行った時に説明を聞いた。デザイナーが桐生の複雑で変わった布からインスパイヤーしてデザインするというのだ。その工房には織りが変わった布がたくさんあって、どんなダサいデザインでもこの布で服つくったらショーで目を引くな、特に外国人には、と誰もが思うだろう。つまり、デザイナーの力ではなく、布の力がほとんどだということ。(デザイナーは下手くそなデザインがしか描けない。実際に見てそう思った。)

しばらくして六本木のアクシスビルだったか?そのモダンなビルに「布」というショップ名でその桐生の布を売りだした。

布だね、、という印象の服だから、ここまで思い切ってデザインした方が見るほうには腑に落ちる。とても布の力を感じるショーの画像だ。いつも似たような服を作るのではなく、彼女もここまで思い切ったデザインをしたらどだろうか? 価格の設定が大変だが、今のデザインを見ているともう限界な気がする。デザイナーではなくアーティストになった方がいいのでは?

ヨーガンレールの服に憧れる人はたくさんいた。彼は布の力を感じさせたデザイナーだった。 「素材が良い」というのは、自然素材が主にならないと意味がないということをもう一度思い出すべきだ。良く伸びるとか艶があるとか毛玉にならない・しわにならない、そんなのを「素材が良い」とは言わない。

何か言いたいかというと、そういう表面が変わった織りの布だったら、KAWAI OKADA ブランドの切って縫っただけの服も、意味があるデザインに見えるようになるな、と思った。つまり、彼女の服はペローんとした無表情の布表情でデザインにそぐってない。つまりデザインが「布の力」が必要なデザインであるのに、そうでないことが、もう一つの変な服に見える原因である。だが、「布の力」を使った服は平均単価1万円前後のテレビ通販の服では無理である。

だが、トップスを最低1着1万7千円ぐらいだったら通販でも作れると思う。で、よだれが出るような琴線に触れるような服を作ったらどうか?と思う。

 

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