ろくろく人生レポート

東京おとこひとり 改め:66才からの人生探求レポート

川の流れのように生きる

また寒くなってきました。北風が吹かなければ大丈夫なんだけど、耳が痛い寒さだった。

明日は節分。アジア圏だけの古来の大晦日&年始 です。あらたなる新年にむけて、神様に志を訴える日、といいます。お願い・ではなく、あくまでも志、ということころが基本。

神社で願い事なんてのは、本来おかしい。本来は「自分はこういうことをいたします」とか、「こういう考えで生きます」とかを宣言するもの。 願い事はつまり、簡単に言ってしまえば、私利私欲、欲望。 そりゃぁ神様に失礼でしょう?!

願望=欲望を訴えて、聞き耳を立てるのは・・・悪魔 だけです。

正当な欲望、、、など、あるんでしょうか?

どんなに自分が正しいと思っても、願望はすなわち欲望。そんな美味しいご馳走である「欲」に悪魔が飛びつかないわけはない。

そうはいっても、「もっと健康になりたい」「お肌がキレイになりたい」「お金が欲しい〜」などという単純な願いは日常頻繁に考えてる。そういう願望が当たり前の「くせ」になっちゃってる。思ってるだけなら何も悪いことじゃないことになってしまってる。でも、ただ思ってるだけなら何も悪いことはないのだろうか? 欲望は精神に、体に、心に、影響はないのだろうか? と、疑問である。

たぶん、強さによるんじゃないか?と思う。

その願望が正しいか正しくないか?は、関係なく、願う強さ、すごい念の強さ、は、何かを動かす力があると思う。あまりに強い願いは、自然に流れゆく川の流れの秩序、バランスを崩して水をせき止めて、結果、願ったことじゃない不自然なことが起こってしまう、または、願いが叶うのは悪魔の仕業で、結局は自滅の人生になる・・・そんな気がしている。