ろくろく人生レポート

食・病・死・などについて書いています

生きている間に、そのうちいつか、まともな人と出逢うだろうか

昔から知っていた人だけどここ2年ぐらいまたよく話すようになって親しくなった人がいる。純粋に知り合いだ。でもセクシャリティーにかんして、たとえばなぜ結婚しなかったのか?といったセンシティブなことをいろいろ質問をしてきた時があって、なんでそんなことを聞くんだろうか?と不思議に思っていた。そういうことは自分だったら絶対に聞かない。もし「なぜ』と思っていたなら相手(自分)が言うまで何も聞かないのが礼儀だと思わないか? 普通の多数の人が行ってる生活の行為というのは、「なぜ」というものがない。「なぜ」と聞かなくても同じセクシャリティーだから何もちがわない。でも「なぜ」がある人は少なからずいる。多数派の無礼な人は相手がどう感じるかなどと言ったことは何も考えないで聞いてくる。そしてしばらくしてゲイじゃないかと言われてるよ、などとどっからの情報かわからないが、そう言ってきた。これにはびっくりしたが、適当にごまかした。なぜならまだカミングアウトの準備がなかったのと白か黒か?と言ったずけずけとした聞き方に失礼だと思ったからだ。そう、まるで犯罪者のように、前科はあるの?犯罪歴はあるのか?と言ったことに通づる非常に無神経な聞き方だったからだ。セクシャリティーを知りたがる俗っぽさと「あぁこの人も世間一般人と同じ礼儀のない好奇心丸出しの低俗な人だったんだ」という絶望感と、自分の人を見る目のなさと、どこまで科学が発展しても人の心は噂と好奇心と知りたがる欲求がいつも頭にいっぱいで、かなり失望した。

子供ができないで不妊治療をしてる、性病にかかって治療している、ボッキ機能がない、癌で乳房をなくした、義手、義足・・・・これらの人生で人が抱える苦難なことにはいろいろなセンシティブなことが考えられるが、自分にしたらどれも堂々と言っても気持ちが悪いとかは思われないものだと思う。しかし、性に関しては最高難度の差別と無理解があると思っている。知識で理解したといっても、ほんとうは他人が他人のことを理解するなんてことはできないことだから、性にかんしては本人が言うまでさわらない、聞かない、無視する、というのが礼儀だと思っている。

カミングアウトをするのは相手が親しくても親でも兄弟でも、他人のためじゃない。どんな種類の個人嗜好でも自分がしたいときに相手に話すもので、話したくなかったら相手が察するものである。他人が興味で知りたがることはイコール他人が審判するといった裁判してるようなものでとてもおそろい行為だ。でもほとんどの多数の人はそんなことは考えもしないしわからない。彼らは何もわからないのです、とキリストが言ったらしいが、わからないから許されることではない。普通に好奇心でずけずけと質問し審判してくる(なんと無神経なやつらだろうか)。

自分のなにげない毎日の行動が失敗におわった。人に自分らしくない理想、期待を持ってしまった。結果、自分が傷ついてしまった。自分が傷つかないために人と必要以上に親しくなるのはゼッタイにやめようと思う。つくずく他人が嫌になった。これは自分もいけなかった。習慣的に時間的に人と深く接してしまったからだ。この学習を活かして、もうそうはならないように。

生きている間に、そのうちいつか、まともな人と出逢うだろうか・・・

 ♬

 会いたい 会いたい

 また 悲しませるだけ

 すべては 終わったこと

 終わらせてしまったこと

 

 会いたい 会いたい

 この胸が悲しくて

 いつかは すべてを忘れ

 生きられるのだろうか

 

 夜空が君を包む

 行きかう人の語らい

 君だけを愛してた

 探せない もう

 君は見上げる

 いつか見た星を

 

 二人見た星を

 DEEN 会いたい 2005年

 キム・ボムス 逢いたい〜ポゴシプタ〜 2004年

 曲:ユン・イルサン