ろくろく人生レポート

食・病・死・などについて書いています

新宿二丁目:優しい街。人情ある街。変わらない店ペンギン。

新宿二丁目

世界でもこんなに多くの店が集まった街は珍しいゲイタウン。

27才、新宿ゴールデン街にひとりで呑みに行っていた。ひとりがいい。誰かとイベント的に呑みに行くのは好きじゃない(なかった)。今のゴールデン街は店の種類も変わってしまったようで、当時行っていた店はママがヌードモデルで全身の写真が飾ってある店や、岸田今日子によく似たおっとりしたママの店、夫婦で営むわりとゴールデン街では普通っぽい店などによく呑みに行っていた。

その当時ある店で意気投合した演劇志望の奴とそいつの知ってる2丁目の店に行こうということになって初めて行った店がペンギンだった。二人ともかなり酔っ払っていて、真夏だったためか店を出た後に外においてあった防火用の水の入ったアルミのバケツの水をそいつが頭からかぶったりしてバカなことをしていた。ペンギンは5、6人でいっぱいになるコンパクトな店。でもトイレは店の中にある。なつかしい。

たまたま観たフジテレビで2週にわたって二丁目の老舗の喫茶&レストラン「クイン」のママを追っかけた番組があった。2022年頃から2年にわたって店が閉店するまでを追った再放送。クインを取り巻くゲイバーのママや客らが深夜から朝方に賑わう店内。クインのママはこの放送後の去年の9月、糖尿病、ガン、坐骨神経痛、と病気のデパートと戦っていくため53年(50年?)やっていた店を辞めた。それまでの記録の映像であった。

二丁目仲通りの真ん中あたりにあるこの界隈を知る人なら誰もが知ってるレストラン「クイン」がある。深夜から朝までの営業、来る客は二丁目で店を営む者たちで各自の店が終わった後の深夜から朝方にかけてホッと憩いを求めてやって来る人がほとんどで、一般の客などはほぼいない。深夜オープンなので自分は1、2回しか行ったことがなかったが、しこたま呑んだ朝方に誰かと行って生姜焼き定食を食った記憶がある。それはもう40年近くも昔のことだ。だから自分にはクインはそれほど親しみはない。どちらかといえば仲通りから墓地の方に曲がった路地にある韓国のおかぁさんがやっている「オンマキッチン」である。ここはお弁当というか、韓国の海苔巻きを夜中でも売っていて、お腹が空いた時によく買って食っていた。そのほか腹が減ったっ時には、サッポロ屋というラーメン屋の店内で食うか出前をとりバーの店内で食ったりしていた。バーで出前をとるのは普通だった。

あの時代は平和で、ゆるやかで、いじわるじゃない、やさしい時代だった。

なぜなら、SNSやスマートフォンなどのエセコミニケーションに依存する人がいなかったからだ。日本中ほぼアナログで毎日の生活が回っていた。誹謗、中傷、コンプライアンス、ハラスメント・・などという人情のかけらのない縛りに頼っている今とは違って、すべて人と人との対面でことが進んでいた。だから、白黒ハッキリさせるのことが良いとする現代とちがい、一見だらしないルーズな、言い換えれば 暗黙の了解でお互いが納得する、ということが常識だった時代だった。

そのクインの番組に久しぶりに懐かしい人が映っていた。クインと同じぐらいの年数、店をやっている千鳥街のペンギンのマスターだ。40年前に初めて店に行ったときからしばらくは通っていた。行かなくなってから20年ほど経ってしまった。

クインのママが行くペンギンの店が映っていた。マスターの声も変わらない。 ・・・そうか、こんなにも流行などに移ろわずに(変わらずに)周りも個人も大事にしているんだ・・・と。自分にはできないことだな、と、うらやましくもあり、尊敬もあり、今も変わらぬことに感謝したい気持ちになった。

このブログを見ている人で、若い頃に二丁目で遊んでいた人がいるかどうかはわからないが、たぶん、いないだろう。40年も前に二丁目で遊んでた人が、このブログを見ているとは思えない。でも、今いろんな種類の店が増えているので若い人で今、2丁目に遊びに行ってる人がいるかもしれないね。 なんだか、なつかしいが、行かなくなって寂しい気持ちになった。

↓ペンギンの黄色いドアを開けるクインのママ。

L字カウンターの店内。早い時間でまだ客はいない時間だろうか。マスター変わらないなぁ。2つ上のお兄さんだったんだね。40年前はもっと年上だと思っていた。

クインのママはマスターにだけは不安とグチを言えるんだろう。2丁目での戦友だ。良い人というのは差別するなどはもちろん、セクシャリティーも何も関係ない部分で人と付き合う。2丁目は世間の常識とは違うというが、この世界の人たちと触れ合うと世の中の常識が実にくだらないものだと感じるだろう。もう現代ではタワーマンションだの森ビルだの、再開発だのと、物質に欲望を求めている企業や家族や夫婦が多い仲、どこの街にも人にもなくなりつつある「人情」がまだ、この街にはある。

クインのママが洋服をまず捨てなきゃ・・・というと、マスターが「歌が好きなんだから歌えば良いじゃない。そうしたらその服着て歌えば服捨てなくて良いから」と、マスターらしいキレのいいアドバイス。

約40年前の写真が残っていたので載せることにした。自分は27才ぐらい。

どうです?!テレビで映った今の店と昔の風景がほとんど変わってないでしょう!!40年前ですよ! この写真の日は今もはっきりおぼえてる。外人客と常連客がいた。満席だったかな。右側にも2、3人いたと思う。

お酒の種類はもちろん変わったけど、マスターのエプロン姿も今と同じ。髪は白くなったけど、印象はほとんど変わらない!だから客は今も安心して行けるんだろう。すごいよね、しつこいけど40年も前だよ。ずっと呑みに行ってたらよかったなと後悔した。

・・・常連になるってのは1日でできることじゃないから。人との関係で貴重な財産になるから。

@マスター、テレビの画像と昔の写真を勝手にあげて、すいません。

 

追記:

同じく当時よく行っていたディスコ「SAZAE」について。2代目になった店長が何年か前に亡くなったというのをネットで知った。自分が遊びに行っていた当時は初代の店主サザエさんがまだ存命で、当時店には3人のバイトがいた。一人は最近亡くなった2代目になったミックジャガーのような風貌の彼。もうひとりはフレディーマーキュリー似のヒゲの背の高い人、もうひとりは3人の中のちょい太めバイリンガルのとても優しい人と親しかった。

SAZAEはディスコ。レトロな店内。いっときバーで踊ってはいけないなどというバカなおふれが出たが当時は踊れました。そして外人がたくさん。始発待ちの人。そして同じビルの地下にレゲエの「96」という名の店があって、そこにもよく行った。しかしこの店はマリファナやそういうものをするものが多く、しょっちゅう問題になっていた。しかしレゲエで酒を呑みながら踊れるので楽しかった。