急に寒くなった。ちょっとびっくりです。
六星占術、信じます?
いま「大殺界」の最後の3年目です。2025年の来年に向けて準備の年。来年が楽しみだ。
「今、魂が修行中なのよ〜」「引き寄せの法則で儲かる」「高次元だから・・」とか、スピリチュアルなことを言う人(翻訳家が多い)に最近かなり強い嫌悪感があります。彼らこそ現実を受けとめず言い訳しながら楽に考えたい人たちで、スピリチュアルな言葉に洗脳されていると思う。弱虫で不自然極まりなと思います。彼らのほとんどが肉体というものを軽視してまるで病み上がりのような見た目である。健康のことじゃなく肉としての体の大事さを軽視し筋肉もなく魅力もなく、現実=俗世界というものは害があるとしている現実逃避の人たちです。
このブログのカテゴリーにもあるエドガー・ケイシーのチャネリングついて自分は長い年月をかけて読んだり調べたり実践したり、かなりの量の知識がある方だと思っている。しかし結果、自分には必要がなかった。
これは合理主義、物質主義のアメリカ人のための説教であったと気づいた。100年前のアメリカ人には必要だったかもしれないが現代を生きる日本人の自分には必要のないものだった。見えない世界を無意識に知っている人たちにとっては、聖書、エドガー・ケイシーの言葉は必要ながないものなのだ。
ピラミッドの謎や前世の話など、そういう話はひとつの話として面白く読もうと思う。
エドガー・ケイシーセンターの会長、彼はもともと見えてる世界がすべての唯物主義者だった。その反動でエドガー・ケイシーを信じるようになった。つまり、彼の人生には「それ(見えない世界があること)を知る意味があった」ということだ。解説には聖書の言葉をかなり使う。福音とか・・・キリスト教を布教しているのではないのに、何か変だ。さらに聖書の「祈り」を勧める動画を観たら、かなり引いた。非常に違和感を感じた。「ありがとう」「幸せな気持ちになった」という投稿があるのもヤバい、この人たち、と思う。
人間を分けたら、見えない世界を無意識に知っている人と、知らない人、、、この二者がいる。大事なのは死後の世界があると認識すること。死んだ後、霊になった自分が「死んだんだ」と認識できる知識を生きている時に学ぶこと。死んだことを理解できないと地縛霊になってしまうから。
他人の言葉に頼って答えを求めていても、いつまでも答えは見つからない。もともと自分自身は何も悩み苦しむ必要がない人間なのだ、と気がつくことじゃないだろうか。