岩本町と秋葉原の間にある「いずみはし」からみた景色。
この景色が好きです。
銀座のようにどこも金をかけてカッコつけてなくていい感じに汚いのが好きです。
この橋のすぐたもとに、たぶん50代ぐらいの男が座っていて、昔で言うなら「物乞い」をしていた。顔を下に向けて膝を抱えて体育座りで靴をキレイに横にそろえて(なぜかキレイな白いシューズだ)彼の前には100均で売ってそうな10cmぐらいのプラスチックのおもちゃのカゴのような入れ物を置いている。昔だったら缶詰の空き缶、を置くのが物乞いの基本だが、現代では缶詰などではなくかわいい白いミニカゴを置いてそれがすごく目立ってた。
人通りの多いこの橋、皆見て見ぬ振りで歩いてる。
今の時代、座って金を入れる器を置いてる物乞いは都内では見られないと思う。自分も久々に見た。それも、ボロ雑巾のような見なりではなく普通のカッコだったし。
この辺りは秋葉原ということもあり通る人は外人が多いし2〜40代の人がほとんどだと思うので物乞いなど見たことがないと思う。でも外国だったらこういう風景はあると思う。まさか日本でいるとは。
だからすごく気になった。
自分も最初は無視して少し歩いていったが、とても気になったので戻って100円をその小さいカゴに入れた。
すでに5円玉が入っていた。どんな人が5円を入れたのだろうか?自分の100円と合わせて105円になった。
自分はみかんや食い物などを多くもらった時にホームレスにあげたりしていた。上野界隈といった場所柄もあるけどね。あげることに良い人でいようとか優しくしようとか特別な理由など考えていない、自分だったら誰からでも何でももらったら嬉しいと思うから。彼らが怠けもんだろうがリストラだろうがそんな理由なんか関係ない、弱い人にあげる、ただそれだけ。
この橋のたもとには、前には戦争で体が不自由になった老兵士が白装束を着て物乞いをしている姿が多く見られた。今はどこでも一切そう言うのは見られないと思う。四国でお遍路をするような白い着物に、足や手がない戦争兵士。年齢は70以上の爺さんたち。でも彼らは結構な額の年金をもらっているとどこかで聞いたが、秋葉原で横道で見せ物のように不自由な体を晒すことができるのは、なんと勇気がいることだろうか?と思っていた。
そういうのがまだ見られた時代というものではあるが、きょうの50代ぐらいの体育座りの物乞いも、ほんとうにお金を欲っして座っていたのだろうか?などと考えて、なぜならこんな多く人が通る場所で(だからここを選んだのかもしれないが)結構勇気がいることだろうと思ったからだ。 アルミ缶を大量に集めてリヤカーや自転車に乗せているホームレスたちのようなことはぜず、昔風の道路で物乞いは、すごく勇気がいるんじゃないか?と思った。
彼の事情はわかるはずもないが100円をあげたのは横道で座って物乞いをするという勇気に対してだった。優しい気持ちとか奉仕とかそんな高尚なもんじゃなくて、いまや誰もがスマートフォンを持ちアメリカでは大統領が新しくなりプーチンやゼレンスキーが話題になり、日々の借金や引き落としや家賃や、そんなもんはまったく関係なく、とにかく今日生きるために物乞いする・・・という、この究極の状態、に、すごく魅力を感じた。
ただ気になったのは、その物乞いの彼が膝を抱えて申し訳なさげに顔を下に下げてうずくまっていたこと。彼の心の声はなんと言っていたのだろうか?
(お金ください)(こんな自分にお金ください)(働いてる皆さんに申し訳ないので下を向いてる)という気持ちだろうか?
いつも思っているのは、仕事がないお金がない体が精神が良くなく思うよう動かないので働けない、などで生活が苦しくてホームレスや今日のような物乞いで生きるしかない人、、、そうだから申し訳ない、働いてる人に引け目を感じる、ダメな自分だと思う、と思ってるならまったく間違ってると思う。
金も仕事も体もダメでだから下を向き影で生きないといけないのか?
生きていることに上下はないと思うし堂々として欲しい。 日本の世界の政治家を見てごらん、彼らのインチキで悪知恵のある生き方こそが下を向くべきで、金がないだけで申し訳なく暗闇で生きるなんてまったくナンセンスだと思う。