ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

I'm Always Free!!! 自分は自分に縛られていたのだ!自分は自由なのだ!

おはようございます(*´щ`)*+*゛Yёs+*+

 

昨日ファミレスで非常識な子連れを注意して思った。

自分は ”自分に気をつかっている” ・・と、思った。

自分に気をつかう・・・とは変な言い方だが、言い得ている。

知らず知らずに良い人になろうと、穏やかな人になろうと、うるさいジジイにならないようにしようと、波風立てないようにしようと。。そう、自分をコントロールしていた(無意識に)。

自分が自分を洗脳していたのだ。

毎日鏡を見ると、目の奥が淀んでいる。輝きがない。勢いがない。

病気でもないのに、1枚、透明な膜がかかったようにはっきりしない。

心は目でわかる。心が正直じゃない人は目でわかる。

人のことは良くわかるが、自分自身でも自分を検証できるのだ。

ファミレスでうるさいババアに注意することが本来の自分、では決してなく、そうじゃなく、そういう雑多で身勝手でマナーもない人間が来る店に行くまえに、行かない決断をするべきだったのだ。

「鶏肉を食わないといけない」「広いのでウィルスは少ないだろう」などと自分に理由をつけて行っていたのだ。しかし、店の環境(人)は良くないのも知っていたが無意識に知らないことにしていたのだ。これが現実の自分だった。

社会の中で生きるのに嫌な場面もたくさんあるだろうが、多分何かの刷り込みでそう言う場面を経験した方が人間として成長する・・・と言う子供の頃の洗脳が残っていたのだ(これは親と教師の責任だ)。

非常識でうるさい人間が集まる場所には行きたくはない。会社も同様、そう言う人間や上司のいる環境に行ってしまった自分を反省し、そうならないようにしなければいけなかったと後悔する。そして気がついたらやり直せる。会社を辞めればいいのだ。誘われてもうるさい場所に行かなければいいのだ。会社をやめた影響、誘いを断って孤立、、結構なことじゃないですか!!それが自分自身です。その自分を大切にするべきです。

うるさい常識のない彼らがいけない、彼らのせい、ではないのだ。自分がそういう環境に出会ったことが自分の感の悪さとミスなのだ。誰の責任でもない、自分の選択ミスである

いつか何かの本か誰かに聞いたのだが、自分という本来のものが別に存在する(見えないが空中でもいいし空の上でもいい。言ってみれば背後霊のようなものかも)。そのもう一人の自分が現実の自分をいつも俯瞰(ふかん)で見ていて、わざわざ嫌な場所、場面に行かせないようにしなければいけない。というふうに考えるようにする。

現実の自分は俗世間に染まった優柔不断で汚れた思考の持ち主。もう一人の自分は本当の自分。

そういうふうに考えると、ちょっとしたことにも自分が無理をしていることに気がつく。 常識的に行動しないといけないのだとか、義理があるだろうとか、この歳だから当たり前だろうとか・・・自分に無理していることがたくさんあることに気がつく。それはとても自分を苦しめることだ。

I'm Always Free!!! 自分は自分に縛られていたのだ!自分は自由なのだ!