東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

宮沢孝幸教授の「京大おどろきのウィルス学講義」という固いタイトルの面白い本

暗くなった空に、今日は月がはっきりと明るく光っていました。

 

今この本を読んでいます。

まえにも同じ宮沢教授の本を買ったが、これは初回の本である。読むのが前後してしまったが、いま世間はコロナウィルスの話題がほぼない中、ぜひに読んでおきたい。なぜなら、ウィルスの知識がこれまでゼロだったわけだから、最低限の知識を入れておきたい。まさに養老先生の帯のコメントにあるように、

「ウィルスに関する『常識』を持ちたい人に推薦したい」とある。

そう!まさにこれはウィルスの常識が書かれている。そしてマスコミにもいっさい流れない、注目を浴びない、大事な知識である。

bearpond.hatenablog.com

まだ全部読み切っていなが、下手な読み物よりおもしろい。問題は、今は新型コロナウィルスと銘打って騒がれているウィルスが、実はそれほど珍しいものではないこと。間はこのコロナウィルスにようって抑えられているが、次に違うウィルスが「俺の番だ!」と、必ずやってくる、ということ。そしてmRNAワクチンも何年、何十年先の後遺症がどうなるか?まだわからないということ。などなど、面白がっては不謹慎だが、非常におもしい。

初回の本が漫画で解説あり。↓

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2月4日の外出&ファッションチェック

土日は引きこもり・・・と決めていたが、外出してみることにした。何と言っても今日は立春だし。外を散歩するのはいいことだろう。

人手はやはり多かったが、街の人のファッションを見るのも一つの楽しみである。きょうは寒かったので、ほとんどの人がダウンジャケット、またはロングダウンジャケットにスウェットであった。男性はほとんどがグレーの霜降りっぽいスリムなスウェットパンツやスリムなブルージーンスにソールが白の黒のスニーカー、そしてなぜか茶色のダウンジャケット姿が意外に多い。制服のように、男性の皆さんはこのスタイル。女性もほとんどがロングダウンジャケット。なんちゃってウール素材のキレイめなコートなどは、ほとんど見なかった。

そして素材感を気にしてみてると、ナイロンのダウンか、ポリエステル系の服を着ている人がほぼ100%であった。ポリエステル系というのはポリエステル+ポリウレタン+レーヨンの3者混の、いわゆるポンチ素材がほとんどで、こう言っちゃ何だが、歩いていて10m先からでも、その安っぽさがわかる素材感。伸びてシワになりにくく普段着には最高だけど、やはり外出着にはこの素材感の服は安っぽさ全開になってやめた方がいいと思った。ウール、コットン、夏だったらリネンに勝つ素材は無い。50m先からでも、自然素材の服だったら、どんなみすぼらしいデザインでもポリエステルなどのポンチの服には勝つ。絶対勝つ、とあらためて思ったのが今日の外出。

今日は立春なので寿司を食うことにした。意味はないが、恵方巻きのような意味不明な行事は一切無視。だいたいが、あんな行為、あり得ない。誰が考えたこと?あんなでかい巻き寿司を黙って口に入れる姿など、何もご利益などあるわけないし、みっともないのでやめてほしい。

「不安」は未来への悪い予測。全ての元凶は、「不安」である。

節分の催しが、各神社で行われてました。

明日から新年の始まりです。

 

なによりも、「不安」が、1番によくないこと。そう思いませんか?「不安」を感じなかったら、どんなに幸せでしょう!

「不安」という感情がなくても生きていけますよね?

車に跳ねられないようにとか、危ないやつに切りつけられないようにとか、そういう注意は十分日常に思っていて、でもそれは「不安」ではなく「用心」といった別物。

「気をつけること」と「不安に思うこと」はちがう。だから、「不安」などまったくいらない感情なのに、なんであるんだろうか?必要のない感情が、こうも大きくクローズアップさせられてる現代は異常だ。

「不安」は未来への悪い予測 である。

未来、=近い将来に、もしかしたら変なことが起こるのではないか?といった考え。なんでこんなことを考えるのだろうと、生きるのにはまったく必要がないのに不可思議に思う。これはたぶん、後天性の思考だな・・・・と思う。(または悪い霊、霊団が人々を悪に導くためにばら撒いている意識。。。であると思う)

勝手に思うのだが、例えば江戸時代には、現代のように、こんなにたくさんの「不安」を思っていた人は少なかったか、いなかったのではないか?と思う。文献によれば、江戸時代の人々、庶民は、かなりノー天気な人が多かったらしい。楽天家?というのか、とても楽天的な人が多かったと思う。だけど鎖国が廃止になり海外から人や物が考えかたが入ってきたとたん、「不安」も流入したのだ・・・と自分は思う。

つまり「不安」は外来種であると、思う。コロナや犯罪もたくさん増えた日本だが、これが江戸時代のように鎖国したままの日本だったら、人々は現代のように異常な人が発生したりSNSで人をおとしめたり陰湿な絶望感は抱かなかったかもしれない。現代の「不安」が、こういった陰湿な犯罪や思考を生んでいると思う。

人に必要のない「不安」という感情は、人間から生まれたものではない、と思う。やはり、この「不安」というものは悪い意識が操っている代物である、と思うのが自然ではないだろうか。

しかし、江戸時代から200年はたっているけれども、時間はかかるが、日本人のDNAには「不安」はガッツリとは書き込まれてはいないと思う。コツコツと、頑張って(何を頑張るかわわからないが)「不安」を意識から無くそう運動を自分に課すことにしたい。全ての元凶は、「不安」である。

川の流れのように生きる

また寒くなってきました。北風が吹かなければ大丈夫なんだけど、耳が痛い寒さだった。

明日は節分。アジア圏だけの古来の大晦日&年始 です。あらたなる新年にむけて、神様に志を訴える日、といいます。お願い・ではなく、あくまでも志、ということころが基本。

神社で願い事なんてのは、本来おかしい。本来は「自分はこういうことをいたします」とか、「こういう考えで生きます」とかを宣言するもの。 願い事はつまり、簡単に言ってしまえば、私利私欲、欲望。 そりゃぁ神様に失礼でしょう?!

願望=欲望を訴えて、聞き耳を立てるのは・・・悪魔 だけです。

正当な欲望、、、など、あるんでしょうか?

どんなに自分が正しいと思っても、願望はすなわち欲望。そんな美味しいご馳走である「欲」に悪魔が飛びつかないわけはない。

そうはいっても、「もっと健康になりたい」「お肌がキレイになりたい」「お金が欲しい〜」などという単純な願いは日常頻繁に考えてる。そういう願望が当たり前の「くせ」になっちゃってる。思ってるだけなら何も悪いことじゃないことになってしまってる。でも、ただ思ってるだけなら何も悪いことはないのだろうか? 欲望は精神に、体に、心に、影響はないのだろうか? と、疑問である。

たぶん、強さによるんじゃないか?と思う。

その願望が正しいか正しくないか?は、関係なく、願う強さ、すごい念の強さ、は、何かを動かす力があると思う。あまりに強い願いは、自然に流れゆく川の流れの秩序、バランスを崩して水をせき止めて、結果、願ったことじゃない不自然なことが起こってしまう、または、願いが叶うのは悪魔の仕業で、結局は自滅の人生になる・・・そんな気がしている。

♫ For myself  For myself 人は自分を 生きているのだから

2月1日になりました。

まだまだ冬本番中ですね。

いま、夏にむかって筋肉をつけようと筋トレ開始。でも昔のように激しい重量でやると身体中がだるくなるので、まぁまぁ軽いのでやっている。夏には薄着になるので、ヨレヨレ老人にはなりたくはない。

人は見た目が100% ナルシストであることは重要。

自分が好きにならないと。精神と肉体をキレイに。内臓や臓器も。

つまり自分を大事にすることはとてもいいことです。

こう考える時、いつも思い出すのはユーミン作詞作曲[あの頃のまま]のワンフレーズ、

 

♫ For myself  For myself 人は自分を 生きているのだから

 

人は自分を生きている。

自分を、 自分という存在を、 生きている。

この意味は、こう考えている。自分という存在を別の世界から、第三者的に見ている自分がいて、自分らしく生きなさい!と自分自身が自分に応援しているイメージ。

 

今、コロナや世界情勢の不安、犯罪の報道の多さで幻滅し、もう、この世なんかどーでもいい・・・と思っている人が多くなっているのではないでしょうか?

外に希望の光が見えない。外の世界に明るい光がだんだん翳ってきている。

でも本当は、外での出来事は自分の中身(現実)とはまったく関係ないのです。外で起きてる腐敗の世界と、自分の中身は、実は全く関係ありません(同時に起こっていません)。 見ているのは「見させられている」だけです。だから、自分の中に外の世界の腐ったものを持ち込まない、入れない、ということが基本的で大事です。

入れてしまったら(けっこう入れてしまう)、その部分を消して空白にするために、呼吸を深く吸って、記憶の引き出しを開けて、腐った映像や言動や人物の顔や涙や痛みが、宇宙の空遠くのブラックホールへ吸い込まれて消えていくイメージをしましょう!