電波って 目に見えないのに、誰も不思議に思わない。
空間を行き来しても見えなくて、不思議ではないか?
目に見えないけど、その効果が実感できているから、
見えなくても不思議に思わないのだろう。
「愛」や「憎しみ」、すべての感情は目に見えない。
見えるのはそれによって引き起こされた態度や言葉。
「愛」や「憎しみ」という動的な振動は、目に見えないのに不思議に思わない。
遠く離れた相手への感情は、
電波のように空間を走って相手に向かって届くだろうか?
ただし、アンプのように「増幅器」がないと感情はその密度を保ち空間を走っていかないかもしれない。もし届いても誰の感情か特定できないかもしれない。
そんなことを考えていると、一つ思いつくことがある。
「呪い」または「祈り」
どちらも欲望の感情だけれど、呪いのような負の感情にはパワーがある。
最も強いパワーがあるのは憎しみ、怒り、などで、愛情や希望などはその持っているパワーは弱い。
呪いの増幅器には古代からいろいろと使われている方法が実際にある。
自力ではなく、他力本願で目に見えないものに頼って願をかける。
話がオカルトちっくになってきたのでこの辺で終わろうと思うが、電波のように確実に届くといことはないが、目に見えない電波は人に例えると「願い(念)」だということだ。