ろくろく人生レポート

東京おとこひとり 改め:66才からの人生探求レポート

「不安」は未来への悪い予測。全ての元凶は、「不安」である。

節分の催しが、各神社で行われてました。

明日から新年の始まりです。

 

なによりも、「不安」が、1番によくないこと。そう思いませんか?「不安」を感じなかったら、どんなに幸せでしょう!

「不安」という感情がなくても生きていけますよね?

車に跳ねられないようにとか、危ないやつに切りつけられないようにとか、そういう注意は十分日常に思っていて、でもそれは「不安」ではなく「用心」といった別物。

「気をつけること」と「不安に思うこと」はちがう。だから、「不安」などまったくいらない感情なのに、なんであるんだろうか?必要のない感情が、こうも大きくクローズアップさせられてる現代は異常だ。

「不安」は未来への悪い予測 である。

未来、=近い将来に、もしかしたら変なことが起こるのではないか?といった考え。なんでこんなことを考えるのだろうと、生きるのにはまったく必要がないのに不可思議に思う。これはたぶん、後天性の思考だな・・・・と思う。(または悪い霊、霊団が人々を悪に導くためにばら撒いている意識。。。であると思う)

勝手に思うのだが、例えば江戸時代には、現代のように、こんなにたくさんの「不安」を思っていた人は少なかったか、いなかったのではないか?と思う。文献によれば、江戸時代の人々、庶民は、かなりノー天気な人が多かったらしい。楽天家?というのか、とても楽天的な人が多かったと思う。だけど鎖国が廃止になり海外から人や物が考えかたが入ってきたとたん、「不安」も流入したのだ・・・と自分は思う。

つまり「不安」は外来種であると、思う。コロナや犯罪もたくさん増えた日本だが、これが江戸時代のように鎖国したままの日本だったら、人々は現代のように異常な人が発生したりSNSで人をおとしめたり陰湿な絶望感は抱かなかったかもしれない。現代の「不安」が、こういった陰湿な犯罪や思考を生んでいると思う。

人に必要のない「不安」という感情は、人間から生まれたものではない、と思う。やはり、この「不安」というものは悪い意識が操っている代物である、と思うのが自然ではないだろうか。

しかし、江戸時代から200年はたっているけれども、時間はかかるが、日本人のDNAには「不安」はガッツリとは書き込まれてはいないと思う。コツコツと、頑張って(何を頑張るかわわからないが)「不安」を意識から無くそう運動を自分に課すことにしたい。全ての元凶は、「不安」である。