26年も前の映画「フィフス・エレメント」
ミラ・ジョコビッチ ブルースウィリスのSFだが、ブラックユーモアもあり笑いもアクションもありの映画だが、この人類の危機をテーマにした内容は笑いごとではない。
印象に残るのはミラ・ジョコビッチの裸のような衣装だけではなく、彼女が人類の長い歴史をパソコンで情報を見て知る場面である。
人類の過去何百年のホロコースト、戦争、紛争、核爆弾、殺戮を知る。
・・・人類の歴史は救い難いものだ と涙を流した。
昨日のニュースではパレスチナとハマスが爆撃攻撃で何百人もの死者が出ている。言わずと知れたロシアのウクラナ侵略、ほかにも地球上には愚かな紛争が多くニュースにならないだけでたくさんある。
なんでだろうね、何をこだわって生きてるんだろうね?宗教?
彼らにとって大事なものは宗教の教え?
破壊、破壊、殺戮、、
しかし日本で普通の社会生活をしてたら、イスラエルとハマスのいざこざもウクライナとロシアの問題も、お茶の間の日本人には直接影響はない「人ごと」である。
もし家族がイスラエルに居て巻き込まれていたとしたら・・・これは他人事ではない。でも、それもは確率からいって、ほとんどないに等しいし、そうなる要因は必ず理由があるわけで、例えば海外取材の仕事だったり企業で派遣されたり、恋人がいたりと、人が今日明日、いきなり被害に遭う状況になったわけではない。
だから毎日スーパーで惣菜を買ってテレビでお笑いを見て寝る人生のひとが、イスラエルやハマスとの紛争は映像で見るだけでまるで関係ない他人事であると言える。
いや、遠く離れたところで宗教にこだわった者たちの紛争は日本人にとって「他人事」でなければいけない。そうでないと彼らのネガティブなウィルスに感染してしまう危険があるからだ。
何を言いたいか?というと、何が善で何が悪か、は、決して誰にもわからないということ。そして善も悪もこの世には無い、かもしれない。ということ。
そして個人個人がなぜその国に、その場所に生まれたのか?、というのは「必然」であって、なぜそこに生まれたのか?ということは重要な意味があるということ。
現代のようにどんなに遠くの国の紛争でも情報がすぐに見れる時代では、他人事が「自分ごと」となってしまう危険がある。
「他人事」は知らなくていいこと、だ。