3500年か5000年以上前か、もっと前か、メソポタミア文明を築いたシュメール人。しかし、どこから来たのかどこへ行ったかわからないままである。 シュメール人は日本人のルーツだとも言われています。それは言語の成り立ちが同じだからだそうで、母音が多いこと、日本語ような漢字、カタカナ、ひらがながくっついている言葉というのもシュメールと同じだそうです。
さらに付け加えると、古くはノアの方舟のノアの子孫のひとつのセム系(黄色人種)であるイスラエル人が長い間エジプトのファラオに奴隷として迫害され、モーゼが連れ出し(出エジプト記)シナイ山で十戒を授かり、その後さらに捕虜となったりして400年間国を持たずに転々とし旧約聖書を残したユダヤ人(イスラエル人)、彼らの言語=ヘブライ語も日本の言語ほぼ同じで、民族の風習がほぼ同じである。
これらを踏まえると、
宇宙人
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シュメール人
↓
↓
古代イスラエル人(ユダヤ人)
↓
↓
失われた十支族(セム系)
↓
↓
秦氏
↓
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日本人
となる。
シュメール時代の女神像イナンナ。
聖徳太子の時代に作られた奈良の法隆寺の5重の塔の中にある、釈迦の入滅の像たち、ブッダの死を悼む僧たちの悲痛なおぞましい顔の像のなかに3体、シュメールの女神イナンナと同じ顔の鳥の顔、馬の顔、ネズミの顔、の3体がある。
写真左から2つ目の小さい像はたぶんネズミの顔の像である。他の2体も、隠れるような場所に作られている。他の僧侶と違って衣装も違い、大きさのスケールも小さく、感情表現もなく、異質である。
なぜかわからないが、この釈迦の入滅の像は一般公開として見ることができないそうだ。金網越しに見るようにしているそうだ。なぜか?
聖徳太子の謎が好きな人なら必ず読む本、梅原猛著「隠された十字架」である。うろ覚えの記憶では、法隆寺の五重塔の内部には壁画が描かれていて、実際、塔自体に登れるような機能はないということ。そしてその壁画は1階から上まで、ある歴史が描かれているという。これはピラミッドが過去から未来の記憶装置だということと、どこか合致すると言える。
そして、聖徳太子自体が実在したかはわからないが、大陸からきた秦氏ではなかったか?ということ。その秦氏はもともとユダヤ人であったことから、そのルーツははるか旧約聖書の時代に遡るのである。
法隆寺は、海の向こうの大国に対しての威厳を示すために造られたもの、仏教を信仰しているということは当時は国のレベルが高いという証だった。なので帰化人たちや半島の工人をよんで正確に仏閣を造らせた。
ネズミや馬の顔の人物は、大陸の、さらにもっと遠くのエルサレムの方から見れば、シュメールのことを知っている、この国に居る、子孫だ、といったメッセージではないか?しかし、おおっぴらにはできない、なので後世に誰かが気づくように、こっそりと僧侶の像の後ろに隠すように3体、作ったのだ、と思う。