ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

もう転生しない100年前の主婦と現代の主婦

主婦は人のために自分を犠牲にして働く・・・

だから、もう地球に転生しない人で主婦が多い、と、エドガー・ケイシーがリーディングしたのは100年以上前。アメリカ、でのこと。

その当時のリーディングで、もう地球に転生しないで終わる人が18人いて17人が女性で主婦だったそうだ。

しかし 100年前の話である。

現代の主婦は、スーパーの安売りに、人とぶつかっても誤りもせずに他人を押しのけて人から奪い合って。まったく褒められない行動である。しかし100年前の主婦は我先に食材を奪い合ったり人に迷惑をかけたりはしていなかった、、、とうことだろうか?

子供のチェアを後ろに付けた自転車で歩道を猛スピードで、法律も歩く人も無視して走っている現代の主婦。これが主婦。100年前の主婦とは、どうちがうのだろうか?

現代の主婦の非道は、言えばキリがない。

日々、とても迷惑している。

子供は昭和の昔、自転車などに乗せて送り迎えはしなかった。

子供はおんぶして、または手を繋いで、皆、歩きだった。

保育園など行かせなかった。

夫婦二人で仕事をしているから子供の居場所がなくなる。

それもこれも、いいマンションに住むため。

現代では家賃が高くて駅近くのマンションに住めないからと、自転車で送り迎え、買い物、そうすればべつに遠くても良いね、などと話し合いで駅から遠いマンションを借りたのだろうか? 歩いて20分、25分、ぐらいだったら歩いて子供を送れ!自転車で送り迎えをするなよ。少し早く起きればいい事だろうに。または見栄を張らずに安い駅近のアパートを借りろ。

子供、夫、今日のご飯、パート、子供の送り迎え、家計簿・・

忙しく人のために生きている・・・? これをやることで間接的に迷惑してる人がいることをケイシーはよしとするのだろうか? 子供や家族のためにはよくても、他人に迷惑をかけても転生を終わりにできると言えるのだろうか?カルマは作らないのだろうか?

100年前のリーディングを今現代に修正しないで伝える事、修正が必要ではないか?

すごく疑問である。

エドガー・ケイシーのリーディングでは治療のこと、食事のことは参考になる。マッサージも薬に頼らない治療法も。しかし、キリスト教の聖書に関連する事が多すぎて、そのまま、日本で、現代で、同じように考えるのは無理がある気がする。現代だったら、日本だったら、こういうことになるでしょう・・という補足が必要だと思う。

光田秀さんの解説で、こういうところが疑問である。

100年前のリーディングでの話では、主婦が人のために働く存在だったと。人のために尽くす事がカルマを終わらせる事で転生を終わらせる事、、それが主婦であったというが現代で通用するとは思えない。当時の話で今は違う、と解説を補足してほしい。そうでないと、私は主婦だから人のために動いているのよ、もう転生しないくらい人のために自分を犠牲にしているのよ、と、勘違いする人がいると思うし、それが正しいとは思えない。しかし、他人がそう思うのはそれはそれで別にいいけれど、ケイシーのリーディングを正しく理解をしたいので、この解説の補足にいつか、きっと出会えることを信じる。