東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

何かを鑑賞したりすることにはすべて、流儀があるのではないか?と、思う。

おはようございます (´・ω・`)やあ

 

寒いのか暖かいのか わからない季節です。

 

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桜のニュースを見てると、みんなスマートフォンを顔の上のかざして桜の写真を撮っている風景が、至る所で行われている。

なんでアップで桜の写真を撮るんでしょう??

何でもかんでも とにかく真っ先に写真を撮る。

ゆっくり見るだけでいいじゃない?

あえて写真を撮らない、という選択肢は、ない?

たとえば、デートで、片方が写真ばっかり撮ってたら、しらけるでしょ?

片手にスマートフォンをいつも持って歩いてるような同じ感性の二人だったら関係ないけど。

この時期、桜を見るために来たんじゃなくて写真を撮るためだけに来たのだ。

あの皆がやる顔を上に上げてアップで桜を撮影する同じ行為、やめた方がいいと思う。

とてもカッコ悪いし、なにか、間違ってる気がする

事故現場の証拠写真を必死で残そうとするなら、わかる。しかし、美しいものを自分の中に入れたい、感動したい、という気持ちで桜を見るのに、何で写真が優先されるのだろうか?

写真を撮ることがいけないと言ってるのではなく、何かを鑑賞したりすることにはすべて、流儀があるのではないか?と、いうこと。とくに桜という古来から存在するものには、流儀が必要だと思う。

何かおかしい、と感じるのは、行為に流儀が無いからだ。

流儀とは、「物のやり方」という国語辞典の説明だが、それでは説明不足である。

自分が思うに流儀とは礼儀とも言える。対象に対する礼儀、マナー、その物事に適した対応、だと思う。

そういう意味で「桜」を前にした場合、桜に対して何が一番適した行為か?と考えると、遠くからその咲く姿を周りの景色と一緒にゆっくり「めでる」こと。けっして桜を目の前の近くで(アップで)見るよなうな物では無い。

めでる」とは、愛して大切にする。珍重し賞美すること。

 

たとえば、何百年も生きてきた樹木などを前にした場合の人の心はどうだろうか?対応はどうか?を、考えたら、わかるだろう。そのものにあった対応が必要なのだ。何の尊厳もないただのスイーツを前にした場合と、数百年生きてる森を前にした場合とは、訳が違う。それが今は一緒くたになっている。

 

どこでも何でもとにかく写真を撮る行為が行われている。

前は、スイーツや食事の前にその料理を撮影してることが行われていたが、きっと、それは今もやってるんだろう。すべてSNSに載せるために写真を撮っているのだろう。

「いいね」をもらいたいから?

真っ先に目新しいものをゲットしたぞ!すごいでしょ?!と、思われたいから?

ま、それはどうぞ、やっててください。

桜をみんなしてスマートフォンと顔を上に向けてるカッコ、すばらしくみっともない。

思い出を残す。。じゃなく、スマートフォンという記録媒体に入れるこことで満足する。しかし桜を見て思う感情は心に残らない。

恐ろしい時代だ。

スマートフォンというオモチャがないと何もできない人がどんどん増えている。

そして、流儀もクソも無い日本人が増えている。