おとこひとり

59才おとこ・筋トレ・服・デザイン・時代・哲学

人の失敗を願うと自分への呪いになるという話

 

 

 

 

ジムに行く途中、じいさんの乗った自転車とスキニージーンズに赤いベルトの多少チンピラ風のスウェットの40歳ぐらいが鉢合わせしていた。ぶつかったわけではなさそう。5秒ぐらいして離れていったが、ヤングが立ち去るときに「バカヤローfshdじゅっdんdっkds、、、」などわけわからんこと言って走っていった。

いつでもイライラが溢れ出す状態で生きてる人。

自分の思い通りにいかないので怒る。

 

嫌いという理由だけで怒る。

 

怒りに市民権は無い。

しょせん、正当な怒りなんてないんじゃない?

 

 

 

山岸凉子先生の「言霊」の話し。

呪いも願いも紙一重。いや、同じではないか?という話。

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呪いと聞くと丑の刻参りや残忍なイメージがあるけれど、日常の何気ない感情が呪いになってしまうことがある。

 

山岸涼子先生の漫画の話である。高校生の主人公は親が大学進学して良い会社へ入るように言うが、バレエで良い成績を残してバレエで生きていくこうと思っている。でも、練習では良い結果が出るのにバレエのコンクールでいつも緊張して失敗してしまう女子が、他人の失敗を願うと心が落ち着き失敗しなくなるという自分なりのジンクス信じる。同じ競技で人が先に失敗すると安心する気持ちはわかる。山岸先生は、人の失敗を願うことは自分に対する呪いである、と綴る。

 

人への願望が実は自分を呪っている、などと理解するのは難しい。

バレエ女子は自分の頭の中で願う。「願い」を「呪い」と言い換えると、人への失敗の「願い」が自分の頭の中で「呪い」として発生する。他人への感情であっても自分から発した感情は自分自身の「感情の事実」というタネになって生まれ、存在することになり、失敗しろ、と、自分に呪い(願い)をかけてしまっていることになる、というふうに自分は解釈した。

言葉には昔から魂が宿っている、ということを日本人なら知ってる人は多い。口に出さなくても人は頭であっても言葉で物事を考える。言葉は悪い感情だと呪いとなって発動する。言葉の力は本当にあるのだろうか。

 

バレエ女子は、人を呪えば穴二つ というコトワザを思い出す。

いつもコンクールで人の失敗を願っていたことは、自分の失敗を願うのと同じことだと気がつく。

そこで女子は次のコンクールで、ウソでも人の成功を願ってみることにします。自分が成功するためには人の成功を願うことだと思うのです。

するとどうでしょう、自分の周りがなんだか明るくなったような、暗雲が消えたようにクリアーに感じたのです。悪が消えたとでもいうのでしょうか。勝負の世界に心底人の成功など願う人などいない気がしますが、彼女は「あなたも成功して!私も成功するから!」と、願うのです。

他人をおとしめることは自分も落とし込めることだから。
そしてバレエの結果は最高の出来でした。
彼女は他人を「祝福」することで自分も祝福されたのです
では何から祝福されたのでしょうか?

人を呪わば・・の逆で 人を祝福すれば・・でしょうか。

 

具体的な願望でなくても、汚い言葉だけでも他人をおとしめる感情は、つまり祝福と正反対である呪いとなり、自分に向けられてその呪いが発動されていくのでしょう。

 

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きょうのジム。バイク。 

着替えてシャワー浴びようとロッカーへ、隣の若者が着替えなどとっ散らかってまして、椅子の上にこんなものがあったので、「コレ何?」って聞いていたら

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バナナ入れるケースだそうです。ははは。

大人のおもちゃかと思っちゃいましたよ。まさかね。どんなバナナでも入っちゃうそうです。