荒 俣 宏 氏 が好きです。
∧_∧
( ´・ω・)
//\ ̄ ̄旦 \
// ※ \____\
\\ ※ ※ ※ ヽ
\ヽ-___--___ヽ
博学で、のんびしとしたお顔と姿。
不思議なモノゴトに見識が広く、
おちゃめなところもあり、
「好き」です。
その荒俣宏さんが、外国人と日本人のちがい、なるTVで、おっしゃってた、
「日本人は親切だ、と外国人がよく言う。外国人が、日本人は何でそんなことまでしてくれるのか・・・と不思議に思うわけは、
日本人には「人のためになることをする」と、自分の「徳」が上がり、魂の格が上がる、、といった「徳を積む」という考え方があるからだ。」
と。
そう! そうなんです。
もちろん、外国人にもそういう考えがある人もいるだろうが、「徳」が上がるから親切にする、、という考えではなく、宗教的な理由が大きいのではないか、と思う。
キリスト教では、人のために自分を犠牲にするという「自己犠牲」の精神というものがあるらしいが、日本の童話の「因幡(いなば)の白ウサギ」は、まさにその犠牲的精神であるから、全世界共通のことであるのか?と、おもう。
でも、共通とは言え、「犠牲」という考えでは、かなりオーバーな感じであり、日常の生活ではオーバーで、共感しにくい。
それに、「犠牲的な精神」と聞くと、なんだかマイナスのイメージがあるし、どうも日本っぽくなく、合理的な考えのような感じがする。
プラスマイナス=ゼロ、、、みたいな、どっちかしか生きれない、、、のような、、なんだか怖い感じである。
自分を殺して、かわりに他人を生かす、というような・・・
そんなのじゃなく、
自分も生きて、他人も生きて、何でそれじゃいけないの? と問いたい。
犠牲的な気持ではなく、「徳」という柔らかい考えがあるから、毎日でも、誰も見てなくても、人のためになることができるのだろう、、と思う。