普段は、死んだあとのこととか、人間はなんで生きてるのか?とか、絶対、そんな話は人にはしないけれど、このあいだ、いつも行く呑み屋で、マスターと2人きりだったので、そんな話をしてしまった。
このブログに書いてるようなこと、
「人は死んでもプッツンと真っ暗になって終わるのではない」
そう話したら、
「そんなことどうしてわかるの?」といわれて、
たしかに自分が経験したわけじゃないので、説明ができなかった。
「人は、猿から進化したのじゃなくて、あるモノからDNAの交配でつくられ突然誕生したんだ」
と言ったら、同様に
「何でそんなこわかるの?」
「それは○○チャンの考えでしょ?」
とのことで、これもまた説明できなかった。
いつも堂々と書いているにもかかわらず、まったく説明できなかった。
こういうのは、説明できない。
どうやっても無理だ。
なぜって、死んで生き返らないと説得力が無い。
もし、霊が見えたとしても、もし、無意識に宇宙の原子に触れられたとしても、それをどうやって人に説明できるのか?
霊現象に合った人や、霊魂や死んだ人の魂が見えるか感じたら、ああ、死んでもすべて終わるんじゃないのだ・・・と、考えなおすだろうが、それでも、ただ頭が変になっただけだ、で済ませるかもしれない。
酔ってたから、とはいえ、呑み屋で人にそういう話をしたことを大いに反省した。
これはかなり危険だ。
なぜなら、宗教の勧誘にかんちがいされるからだ。
これが、逆だったら、自分も「おまえはへんなやつ」「あぶねーなー」と、思うだろう。
まるで洗脳された出家信者のように、その時の自分が思えてきて、かなり後悔した。
シャーリー・マクレーンでさえ、変な目でみられたと言ってたっけ。
どんなに有名人でも、やっぱりこの話題には触れないもうが健全な精神だと言うことかもしれない。
説明がつかないので、もう人には話すことはしないが、この話は説明することじゃなく「感じる」ことだから、感じない人には仮に説明できたとしても、無理だろう。
でも、たくさんの疑問がありすぎて、答えも、実体験も、できないまま終わるのだろうが、考えずには居れない。