おとこひとり

60才おとこ・筋トレ・服・デザイン・時代・哲学

人を不快にしないという気遣いがあるのがステキな人

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その女は電車に乗り込むとひとつ空いてる席に座っていきなり、くしゃくしゃのラップに包んだ食いかけの海苔の付いたオニギリをリュックから取り出し食いだした。

全く化粧なしの荒れてくすんだ肌、ザンバラで後ろで結んだ真っ黒な髪が目の上にかかり、登山用のリュックを前に抱え、ネイビー色のマウンテンパーカーに黒のジーンズ。エンジ色のアディダス3本ラインのスニーカーといういでたち。登山かもしれないが、お世辞にもステキとは言えない。

登山の帰りか、元気そうには見えるがしかし、風体はみすぼらしい。

米粒がついたよれよれのラップで食いかけのニギリを口に運ぶ姿の何と醜いことか。まず電車内でオニギリを食うこと自体、非常識である。隣に居た訳じゃないが米粒が飛ぶかもしれないし匂ってくるし、気持悪い。汚い女がよけい汚くなる。

いまの時代、ホームレスとダサい人との見分けがつかない。

上野、浅草界隈にいる見るからに汚い人は別だが。

ファッションに失敗しててもダサくても、自分の見た目に気をつかっている人はステキだ。お金をかけてるから良いということではないが、金かけてるならかけてないよりは迷惑にはならない。

自分のためだけではなく、人を不快にしないという気遣いがあることが、ステキなのである。

みっともなく恥ずかしいことを平気でやる人というのは、度胸があるとか勇気があるとか本物だとか、そんな良いものではない。ただの美意識が低い人か、ほとんど無いか、ということだ。

教養とか知性とか、そういうものをひっくるめての「美意識」なのであるから、それが欠如している人種なのだ。人からみっともないだの汚いだの思われようと、羞恥心が無いから、問題にすることもなく生きていくだろう。

しかし、彼らはマナーを無視してるわけじゃ無く、ただ汚らしいだけで善良な市民である。

 

 

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本当はもっと迷惑で図々しい奴らがいる。

 

それは、足を組む奴らだ。(電車内で)

観ていると背の高い細いサラリーマンに多い。(デブは足は組めない)

彼らは車内が混んでなければ足を組んでもいい、と思っているようだ。そういう奴らは座り方に品がなくずり落ちそうな座り方である。会社でもどこでもそういう座り方をして居るに違いない。

人が居ようが居まいが、”偉そうに”足を組んでることが迷惑であって、

「お前何様なんだ?」と言いたい。

足を組むな。

車内に人がゼロでも足を組むな=偉そうにするな。

こういう奴らは、いままで自己反省するということをしないで生きてきた人間である。自分を客観的に添削できないので自信過剰で全て他人が悪い、と思っている人間、だから、堂々と足を組んで偉そうにしていられるのだ。

しかし これが現実。 理想の人達や世界など、存在しない。

不条理で人間の意識の発展途上で善悪の入り交じった世界に生きていることが現実である。それが2018年の2月の本当の世界なのだ。

 

そういうマナーの悪さや品の無さや上司の暴言など(もしくは事件やトラブルなど)を目の当たりにした場合、「自分はその中には居ない」と思うのです。

すべて客観的に見ているわけで、自分の周りで起こってることは自分を含まないVIDEO(かなりリアルなバーチャルで人々がうごめいているだけ)である、と、思うようにした、、いや、実際、そうなのだと思う。

(精神に異常をきたしてる訳じゃないので安心してください)