ろくろく人生レポート

東京おとこひとり 改め:66才からの人生探求レポート

インテリアやデザインに関心が無い人は即物主義なのか?何か欠如しているのか?

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カラオケしたり一緒に呑んだりして遊ぶ友達がいます。

服のトレンド感ゼロで 、スーパーの2階に売ってるようなメンズ服の黒っぽい色ばかりきてる彼だが、それなりにオシャレ感はあって服はたくさん持ってるが、しかし部屋のセンスが10段階で0.001と採点。つまり、まったくセンス無しと言うことです。

自分はインテリア系の仕事もしてるので、どーでも良い部屋で暮らす人と友達になれない気がする。がんばって気にしないようにしても、ティッシュボックスが箱のまま部屋にあること(ちょっと神経質だが)や、突っ張り棒だらけの部屋、景品の食器、ダイニングテーブルやチェアーが無いとか、細かいがそんなことにこだわる自分であるが、友人はそんなこと一切関係なし。

その友達の部屋の様子を説明したい。

玄関ドアを開けるといきなり太い突っ張り棒がドア右の横から前に壁に向かってあり、そこに服がたくさんかかっている。(どうしてここにあるか不明)だから、何だか服が暖簾のようになって見通しが悪くうっとおしい。玄関床には、ちりとりや靴べらが埃まみれで転がってる。

通路とキッチンが共有で通路に奥行きの狭いハイカウンターがあるのだがそこには何が何だかわからない荷物や服や小物が高く積み上がっていて、いまにもこぼれ落ちそう、床にはペットボトルと健康飲料などのゴミが捨てられずにたくさん並んで置いてある。ハイカウンター横の小さい机の引き出しは開けっぱなし。

六畳の部屋と言ったら、またもや突っ張り棒が奥に斜めにありワイシャツがたくさんかかっている。昇降式のセンターテーブルはタタミを傷つけないようにコルクのタイルカーペットのワンピースが脚の下に左右2枚敷いてある。部屋の隅には、枕、ジャケット?、紙袋、お菓子、などなど、なんだかジャンルの違う物達が集められている。

なんというか、彼の部屋は突っ張り棒の主張がすごい。そしてすべての小物の色や質感などがまるでバラバラであるべき場所にあるものが無い。

批判じゃなく、自分にとっては理解できないこと。別に掃除してない部屋じゃないけど、色気とかデザインセンスとか美意識?が、ゼロである。

美術系じゃない人ってうか、即物主義というか、美しい見た目とかバランスとかそういう概念が無い。

一番ビックリしたのは、ご飯ごちそうになったときに炊飯器を床に置いていたこと。炊いたご飯を床に置いた炊飯器からよそったこと。これは美意識と言うより何なんだろうか?びっくりした。炊飯器は床にじかに置けない。

デザインやファションが好きな人は雑誌のブルータスとか見て部屋もそれなりにして暮らしてる訳だが、それ以前の問題で、何か「うるおい」や「豊かさ」的なものが欠如している気がする。

 生活のうるおい。

 豊かな気持になるもの、こと。

 バランス。

 

「豊かさ」とは、心の意識であって、なにもお金があることが豊かさではない。

「豊かさ」とは、ステキだと思う心、美しいと感じる心、感動する心、

そして、その「豊かさ」を感じる「心」に、個人の「感性」が加わって、

初めて「美意識」が生まれるのだと思う。

 

物を飾りたいな、と思う心だけではバランスの良い心地いい状況にはならない。どう飾るか?周りをどうするのか?など、そういった「感性」が加わってこそ「美」に近づいてゆく。

 

豊かさが感じられない部屋

感性がどこにも無い部屋

 

自分が居心地が悪いのは、そういった豊かな心を感じないから、

どこかギスギスして現実的で、即物的で、夢の無い、

もっと悲観的に言ったらすべてに「絶望的」な印象さえ覚えるのだ。

 

自分みたいに美術やアート系の人間にとって、逆に新鮮であるが、

価値観があまりに違うので、物に対する考え方、気にするところ自体も違うと思うので、理解しえないだろうことが多いと思うと、恐ろしさも感じる。