東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

服の進化論・日本は洋服に関して後進国

東京に4回目の緊急事態宣言が出ることが決定。今月12日から来月8月22日まで6週間と長い。つまりオリンピック中も不要不急の外出も、飲食も、自粛ということ。その中で開催関係者はバンバン移動しまくるわけです。

昨日の東京の感染者数は900人超え。予想通りの増えかたでオリンピック直前には1000人は軽く超えるでしょう。緊急事態宣言を出してオリンピック開催すると言うことは無無観客以外あり得ないし、IOCのみを入れるなどの特例を作るならさらに民衆は政府から離れていくでしょう。開催しても、オリンピックの影響で救急車が出ないとかベッドが無いとか、1人でも死者が出たら無事開催できたと言えないはずである。それを重要視しないなら人一人の命ぐらいは犠牲になってのかまわない、と考えてるとしか思えないわけで、開催が日本のプライドなんかにはなるわけないのがどうしてわからないのだろうか?

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話かわって、

ファッション業界って、表現することに対して、かなりおくれてると思う。

どんなデザインをしても、

どこで、いつ、だれが、などといったTPOを考える昔風の「ものつくり」である場合、だいたいは

  • イタリアン・マダム風
  • インポート風
  • セレブ風
  • ハイブランドのような

・・・

などなど、のシーンで考えたり。

でも これって、発想として

情けなくない??

なんでイタリアン・マダム風の服を目指す?

ギブ・ミー・チョコレート・・戦後、外人への憧れが、

80年も経つのに、まったく払拭されていない!

日本は洋服に関して、後進国。

いくら素敵な洋風のマンションに住んでたって、

体もDNAも足の長さも扁平の顔も黒い髪も、

あなたは360度日本人なんです。

(外国人との血縁で外国人系が強く出ている場合は除く)

洋服はもっと日本の歴史的文化的な要素を感じるように進化して欲しい。

イタリアン・マダムを目指して、どうするの?

言葉で言うことも、発想も恥ずかしい。

外国人が、日本女性のファションを真似たい!って、聞いたことがない。

いるとしたらアニメオタクぐらいでしょう、そう言う人は。

セレクトショップに売ってる輸入服を賞賛してどうするの?

(制作現場に向けて言ってます)

でも、買う人はイタリアン・マダム風の服を買っても好きなら関係ない。

終戦からずーっと洋への憧れが無くならない日本人。

 

これ以降、今日は語ります。

ファッション系じゃない自分が分析するに、

コムデギャルソン・川久保玲の服が登場した当時は、いかにも日本人の服だな、と感じた。あれを見た当時は非常に情けない気持ちになったものだ。その理由は「そうか、日本人を服で表現すると、ボディーラインは極力出ないわ、色は黒だけだわ、サイズ感はデカいわ、足もとは引きずりそうでスッキリしないわ・・・」と、なんだか、究極のオタク不服 という印象であったのをおぼえている。

ワイズ(Y's)の山本耀司の服も、全く同様。禅僧が着そうな服で、男の筋肉など関係ない、まるで脱いだらモヤシのようなみっともない体が出てきそうな服、であったし。

まるで黒澤明の映画に出てきそうなサムライが着てそうな素材・・・

太陽の光もなくモノクロの雨の中のような服・・・

あぁ、これが日本の服なんだな・・・・と、悲しく、そう思った。

 

洋の服の歴史も背景も日本にはもともと無いんだし、インテリアもファッションも工務店の質の悪さが台頭してしまって美意識が全く無く残念だが昭和の「文化住宅」以来、進化できなかった。だから、どの街の景色を見ても美しくなくただのコンクリートの箱の街、日本。

ユニクロの服に代表される=地味で無難で目立たなくてデザイン、それをユニクロは「日本人の服」と予感して見つけたのかもしれない。(ただ、安易な方法の進化である。)

それを言い得てるのは、最近人気が出てしまったオリンピックスタジアムの建築デザイナーである。新国立競技場ので競合を勝ち取ったが、自分もあるデ内装ザインで彼の事務所と競合したが、負けた。が、出来上がった内装があまりにチープでひどいものだったのでスタッフに聞いたら自分のデザインの方が皆気に入っていた、がしかし、有名人を利用することが有利であるということで、彼に決めたということだ。馬鹿らしい。

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↑OSBボード

で、仕上がった内装デザインは、OSBボードという樹脂で固めた建材を使った木材の箱のような内装で、使い方によってはモダンにもなるが、高校生の工作のようで非常にチープ=貧乏くさいデザインであった。つまり、誰もが見ればわかると思うが彼は木材を好んで使う。新国立も木材を多く使っているが、しかし、日本=木材、というのもデザインしだいで無理がある。というのも、京都や奈良などの匠の技を使った深みのある木材の仕様、ではなく、彼の使うのはベニヤや壁の下地に使う合板やOSBボード、だったり、そう言った建材むき出しの素材をそのまま使うデザインで、無印良品のレジの後ろの壁に使ってるような建材の壁だったり棚だったりする。

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参考画像:建材を内装にしたデザイン(これは彼の作品ではありません)

これはへたすると非常に安っぽくなる。もちろん、もともと安い素材であるから。それに、凝った彫刻も複雑な図形もない直線の箱のようなデザインが多いので、さらに安っぽくなるのだ。

(余談だが、アフリカからの観光客が木材剥き出しのデザイナーが作った和風の旅館に泊まったときに言った言葉「木材がそのままでなんて安っぽいんだ!」と言ったそうだ)

しかし、ミニマムな素材が使い方によって成功すれば、木材の教会のように成功する場合もあるが、そもそも、建築家というのは、色や有機的なもへの感性が弱いので構造的な分野の建築家を目指すということでもある。したがって、安藤忠雄のように、色のないコンクリートだけの構造で考えるのは彼が出来ることを自分で知っているわけで、対するスペインのガイディの彫刻のような有機的で複雑な感性の人は稀で、現代の建築家には出来ないのである。

話はそれたが、つまり、ユニクロのあの単純化されたデザイン服と、現代の建築家と共通しているのは、「無機的で情感のないもの」を目指した結果、日本の服やデザインがこれまでの日本の歴史を無視した、何の情感もないチープなものに成り下がってしまった、ということだ。