ろくろく人生レポート

東京おとこひとり 改め:66才からの人生探求レポート

自分の気持が楽になる方法しか考えてない勘違いの相談者達

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ネットで「悩み相談」を読んでいると、いろんな相談や悩みがあるもんだなぁと思う。コメントする人はたいがいに正しい指摘をしていらっしゃるし、相談者へのアドバイスや苦言も適切にされてて、とても参考になります。

参考になる、、と言ったのは、自分と住む世界、状況が違う方々の悩みや立場がリアルに伝わってくるからです。例えば、夫からもう君には付いていけないと言われたとか、親友だと思ってた女友達が金を貸して欲しいと言ってくるとか、スキー場で子供が雨にぬれたのでレンタルのウェアを交換してくれなかった店員に頭来た、とか。

その中でも夫婦の問題というのは一番嫌だな、と思った。なんでだろう、自分にはどーでもいいことなのに。

結婚してしばらくして、夫から「今までずっと君の行きたいカフェや映画に文句を言わず付き合い、休日には食事も自分が作ってきたが、逆に自分がして欲しいことや趣味や場所にはいっさい拒絶する、もう君ににはついていけない」と三行半を付けられた、どうしよう? と言った内容があった。 この妻に批判が殺到しているコメントがほとんどだが、こういうの問題が起ると、結婚などする意味があるのだろうか?と思う。

人生にはマイナスの経験も大事なのだろうか? 愛と希望をもって結婚した輝かしい人生の期間、人間が一番活力もあって生き生きしている時代には考えられなかったトラブル。こんな結末になるのなら、いままでの恋愛期間や想い出は何の価値があるのだろう? 負の経験の価値って何なのだろう? 結婚が気になったのはそれだけパワーと時間をかけたイベントだから、なぜもっと相手を尊重し大事にしないのか?

こんな経験を繰り返していけば、終いには気がつくと身体も年老いて見た目も悪くなり、何をするにもハードルがどんどん高くなってゆくというのに。

しかし人生は思慮深さの欠如や、思いやりの足りなさ、ちょっとした失言で大きく変わってしまう。

質問の中に「失言」が取り上げられていた。

結婚祝いのお礼に食事をごちそうしたいと女友達がある料理屋に招待してくれた。そのカウンターで、「これなら私も作れそう!」と何気なくいってしまった。 帰りに女友達から、板前さんの前で素人が「これなら私も作れそう」とは失礼じゃないか?もう私は恥ずかしくて店に行けないし会いたくない。 と女友達に言われて、初めて自分が言った言葉に気がついて、何気なく言った言葉に後悔し悩んでます・・・という相談。

悪気はなく、何気なく言った言葉でもそれは本音 。招待してくれた友人に対して失礼きわまりないわけで許されません。

旦那の趣味には文句を言って付き合わない妻も同様、自分が中心で世界が回ってると心のどこかで思っている旨がある。簡単に言うと「偉そうな人」。今風に言うと「上から目線」っていうやつ。

こういった失敗は自分のことだけ考えている人に起こること。

その証拠に、失敗した人はどうやって元に戻るかとか、どうやって謝ればもとにもどるとか、一見、相手への償いのような気がするが、じつは謝って自分が楽になることしか考えてないの人です。「私はあんなこと言う人間じゃないんです。わかって下さい!」と、自分は良い人ですと自分のために修正したいだけなんです。

別れた恋人が一度だけあって謝りたい、、などと同じで、自分が楽になりたいだけで相手の気持などどこにもない。

迷惑を掛けられた人、嫌な気分をした人が一番の被害者であるから、「もう会わない」「あなたはひどい人、もう付き合えない」どいわれたら、黙して離れるしかなく、相手もあなたを見限った最後の言葉だということがわからない人達。

自分のひどさ、人でなしさ、を認識したほうが人間関係はもっとうまく行くと思う。良い人ぶってるから、気が緩んだときに本心が出るのだ。着飾っても心のブスはブス。だから始めっから心ブスのままだと示せば、潔い悪女で人気が出るもの。

女装オカマの毒舌はそういったひどい女?、人でなし感を上手く利用した生き方。そのうち人の裏表を知って、だんだんと口は悪いが酸いも甘いも経験してる女(オカマ)と言われる。

失敗したら、「あー、これが本当の自分だったんだ・・」と認識、そして「人とは本音を最初にわかってもらって付き合おう」 とすれば、相手はあなたが「人でなし」だとわかってるので本心が見えて良い付き合いが出来ると言うもの。

できたら、結婚相手にも最初に自分のひどいところを見せたほうが経済的だね。