自分の20代の時代には、「スピリチュアル」という言葉は、無かった。こういうジャンルに相当するものとしては、仏教であった。
仏教は宗教ではない。哲学として、その考え方は年配者から伝えられてきたというのが日本人であった。
スピリチュアルを「精神世界」と言うこと自体、あやしくまがまがしい。精神の世界、などと、いとも簡単に言ってくれるね、と思う。
哲学は学問、教育、生き方であるし、見えないものに傾倒してゆくものではない。
今のように、日本人がわけの分からないことに洗脳されているのは、当時のテレビの影響は大きい。
「オーラの泉」という番組で人が発するエネルギーであるオーラが見れる、という某タレントと、美輪明宏がやっていた番組。 これにハマった人たちはたくさんいるのではないだろうか?
人生相談が前世にかかわっているということで、相談者はなぜか不幸を納得するのである。
この時代からスピリチュアルの本が売れ、悪い意味でスピリチュアルに洗脳されて行く人たちが増えていった。
つまり、自分に起こった悪いことは、すべて、先祖、前世、呪い、などのせいだ・・・という発想のもと、それが原因だと思い込み、ハマってゆくわけだ。
前世、因縁、呪い・・・それらを「スピリチュアルの世界」とくくってしまうのには無理がある。それらは日本人なら古代からあたりまえのように隣に普通に存在していたものだからだ。
現代のスピリチュアル的な思想といえば、
しかし、これらにハマってる人の記事を読んでも、ひとつとして説得力のあるモノは無い。みな、なにかに洗脳されたがごとく、
自分こそが「選ばれし人」「目覚めた人」
といった自己陶酔型の人である。
「引き寄せの法則」「アセンション」などは真実かウソか? は、どーでもよく、そういったモノはひとつの情報としておわらせ、最初から「自分の言葉」で考えることをすすめる。
なぜか?
言葉(単語含む)は皆が思っている以上に、非常に大切なツールだからだ。
言葉には強い力がある。
ちがった言葉を使っただけで、まったくちがうイメージになる。
言葉とは一種の「暗示」なのである。
それほど強いメッセージ性をもつのが言葉である。
人は、言葉で考える生き物である。
だから、言葉に含まれる強いメッセージ性を無意識に受け入れないよう、気をつけないといけない。
だから、直感で違和感を感じた言葉には疑問をもち、自分の頭からも口からも発することも無くさけないと、その言葉の持つ力に支配されてゆく。