オリンピックの開会式と管総理のハッキリしない指導力のせいで、この日本に生まれて生きて暮らして、この日本にプライドがまったく感じられなくなってしまった。そういう人も多いのじゃないだろうか?たぶん、六十歳以上の人は、今回の開会式でショックと怒りを受けたに違いない。
平成生まれの人たちはわからないだろう。比べるものがないのだから。昭和は力強く生き生きとした世の中であった。平成になってからほのぼのとした平和が続くが、そのせいで長年のタイマンな政治と人々のこじんまりとした暮らしで平和すぎて、政治への関心がなくなり、暮らしへの問題意識が無くなり、そうすると芸術や文化といったものへの欲求が生まれず、もっと高尚なものを目指すといったことが無くなってしまった。
多くの予言者たちは今世紀に「日本が沈む」と言っている。この沈むというのは地面が陥没するわけじゃない。政治経済、そして芸術文化への意識、民衆の意欲が消滅する、ということを予言したのだと、オリンピックの開会式をみて確信した。
いま、菅総理を含む政界は、ことなかれ主義という権力の保持に終始している。まさか日本の民衆が暴動など起こさないと知ってるので、なにか問題があってもそのうち忘れるだろうと思っているのである。
公務員の責務である、「民衆のために尽くさなければならない」とうことも忘れて、ただのサラリーマンと化してしまっている。
今回のオリンピックの開会式の真剣さを欠いた、税金を使ったいわゆる裏切り行為は、政治家の怠慢、これに尽きる。国民を守る、、、というのは、なにもミサイルから守ると言うことじゃなく、「日本に生まれて暮らして日本人でよかった。自慢できる」と思わせることが、実は何よりも大切ではないだろうか? 何よりも今の指導者たちには精神論が欠けている、というか皆無である。
そんな末期的な日本の政治家たちは、昭和時代のこの政治家をもう忘れたのだろうか?騒乱の昭和、そこに政治が必要だった時代、いつの時代も言葉の重要性、これしかない。政治家は言葉しかないのだ。
田中角栄(たなか かくえい)
1918年(大正7年)〜1993年(平成5年)
政治家、建築士。衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第33代)、内閣総理大臣(第64・65代)等を歴任。
田中角栄はロッキード事件で有罪になったが、多くのジャーナリストが書いているがたぶん、冤罪だろう。はめられたのである。しかし、有罪になったからと言って彼のもたらした国民へ与えた力は大きい。地元新潟に鉄道を優先したりと、確かに独裁と思われてもしょうがないこともした。「日本列島改造論」と称し地方再生した結果、逆に財政が悪化した、と、結果的に批判が出たこと、がしかし、ただ、いまの総理のように権力を保持したいだけの人物だったか?と言うとそうではない。それらを帳消しにしてしまうほど、令和のこの灰色の時代に、生き生きとした色を与えてくれる角栄の言葉が、非常に心に訴える。(以下田中角栄の言葉)
ウソはつくな。すぐバレる。
気の利いた事は云うな。後が続かなくなる。
そして何より、
借り物でない自分の言葉で、全力で話せ。
そうすれば、初めて人が聞く耳を持ってくれる。
確かにノーというのは勇気がいる。
しかし、逆に信頼度はノーで高まる場合もある。
ノーとイエスははっきり言ったほうが、
長い目で見れば信用されるということだ。
初めに結論を言え。
理由は、三つに限定しろ。
分かったようなことを言うな。
気の利いたことを言うな。
そんなものは聞いている者は一発で見抜く。
借り物でない自分の言葉で、全力で話せ。
そうすれば、初めて人が聞く耳を持ってくれる。
私は小学校高等科の卒業である。
しかし、いささか仕事のコツはしっている。
われと思わん者は、遠慮なく大臣室へ来てくれ。
上司の許可は要らない。何でも言ってくれ。
できることはやる。できないことはやらない。
すべての責任は、この田中角栄がとる。
東大を出た頭のいい奴はみんな、
あるべき姿を愛そうとするから、
現実の人間を軽蔑してしまう。
それが大衆軽視につながる。
それではダメなんだ。
俺の目標は、年寄りも孫も一緒に、
楽しく暮らせる世の中を作ることなんだ。
国会議員の発言は、
国民大衆の血の叫びである。
人間は、やっぱり出来損ないだ。みんな失敗もする。
その出来損ないの人間そのままを愛せるかどうかなんだ。
そこの八百屋のおっちゃん、おばちゃん、
その人たちをそのままで愛さなきゃならない。
そこにしか政治はないんだ。
わずか60戸に集落のためにトンネルを掘る。
何がおかしい。
トンネルがないと、すぐに病院にかかれないだろ。
同じ日本人で、同じ保険料を払っているのだから、
こんな不平等があるかっ。
人の喜び事は励ましてやる必要はない。
本人が幸せなんだから。
むしろ苦境、悲しみのさなかにあるとき、
力になってやるべき。
私が大切にしているのは、
何よりも人との接し方だ。戦術や戦略じゃない。
会って話をしていて安心感があるとか、
自分のためになるとか、
そういうことが人と人とを結びつける。
必ず返事を出すんだ。
結果が相手の希望通りじゃなくても。
「聞いてくれたんだ」となる。
大切なことだよ。
この世に絶対的な価値などない。
ものごとはすべて比較だ。
黒と白の間に灰色がある。
どっちとも言えない。
真理は中間にある。
子供が十人いたら羊かんを均等に切る。
自由主義はそれではダメ。分配のやり方が違うんだ。
一番小さい子に、一番でかい羊かんをあげる。
大きい奴には「少しぐらい我慢しろ」と言えるけど、
生まれて三、四歳のは納まらないよ。
大学に教授より、
小学生の先生を大事にしなければいけない。
白紙の子供を教えるのだから。