ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

年上に使う形式的な敬語など必要ない

急に真冬になった。

雨も降ってて、寒い。

銭湯に行くのが日課だったが、前に書いたように銭湯で知り合った人がいたんだけど、そのひとりがどうも、やっぱり、苦手で嫌になったのだ。

自分の発言を全て否定的、批判的、幼い言葉で言うと、意地悪、に言いかえす。

そういう感じの高齢者がるの、わかります?

高齢のご夫婦だったら、あなたの旦那はきっとそうです。奥さんは我慢してるはず。亭主関白のようなことです。

70代後半のおっさんって、ほぼ皆、偉そうです。なんででしょう?

初めに相手を威圧し自分を優位に持っていき(今の言葉ではマウントを取るっていうらしいね)相手を従わせるテクニックだと思う。

相手が平和主義で心やさしい人だったら、批判や威圧をハイハイと受け流すでしょう。そうするとマウントを取ったと、その偉そうな人は思うのです。そして、他人を自分以下の存在として従わせるのです。

古い帝国主義的な感覚があるようで、とてもじゃないが本心で付き合えないことがわかったのです。(無理して合わせていたけど)

すいません これは愚痴ですね。

この世に偶然はない。

こういう不自然な人間にであったと言うことは、自分にとって反面教師になるということだろうか。

歳をとった人を 偉いとか、尊敬しないといけないとか(儒教だね)、そういうの、間違えです。

絶対に、 まちがえの思想です。

年上は尊敬する者でも、いたわる者、、でもなく、そんな定義は何もないのです。体が弱ってるのを手助けすることと、漠然と年上をいたわるのとは違う。病院に入院している人を看護する看護師は、年齢で差別することはないはずで歳は関係ないはずです。

年齢で決めつけるのは、きっと古来からの家族制度の仕組みで、家長を尊敬させた方が、その下の者が謀反を起こさないようにする作戦で作った仕組み。政治的な刷り込みだと思います。

そうでないと、間違った考えの年上に従わないといけないという、おかしな苦しい生き方になってしまいます。

年長者も低年齢も、自分たちと同じ人間、ただそれだけです。

ほんとうは 年上に使う形式的な敬語など必要ないんです。自分が本当に尊敬できるとおもった相手にだけ、丁寧な言葉を使いたいという心から、そういうのが敬語といわれるもの、それが本当だと思います。

社会に出て企業で会社では、しかたなく敬語を使ってください。無防備にただ上司だからとか社長だから取引先だから、当たり前のように思って敬語を使うことはやめてください。社会でスムーズに生きるためしかたがなく演技で敬語を使ってください。

私生活では年上に敬語を使わないで下さい。仕事でのしかたない対話の決まりを、私生活でも同じように使うのことは、せっかくの自分の本当の姿が出せず、相手にマウントを取られ自分を苦しめることになります。