ろくろく人生レポート

東京おとこひとり 改め:66才からの人生探求レポート

自分の心の中にだけ真実があることを知っている。だから幸せです。

ゲイだということを隠して 生きるのは 嫌ですか?

社会的に認められたいですか?

嘘をつきたくないですか?

堂々と生きたいですか?

社会を変えたいですか?

誰のために?

自分の正義感のために?

 

社会って なんですか?

社会とは ただのシステム。

社会とは ただのイメージ。

社会とは ただの風評。

社会とは 既成概念のこと。

 

社会なんて、なぜ、そんなに重要視するのでしょうか?

近所の誰かに、会社の誰かに、異性愛者だとウソをついていることを恥じているから?

同性愛者だと言えないから?

同僚に、会社に、親に、兄弟に、友人に、ウソをついて付き合うのがつらい?

 

その、同僚に、会社に、親に、兄弟に、友人が、どれほどのもの?

同僚に、会社に、親に、兄弟に、友人が、この世で一番尊敬する者?

同僚に、会社に、親に、兄弟に、友人が、この世で一番愛する者?

同僚に、会社に、親に、兄弟に、友人と、同じよう生きることが人の道?

 

ウソをついて生活するのは、自己嫌悪になる?

ウソをついて生活するのは、疲れる?

ウソをついて喋ることが、つらいか?

ウソをついていることが、許せない?

 

すべて、自分を卑下しすぎです。

自分が一番、すごい人だということを、忘れています。

相手がすごい者だと言う前提で考えてること、それがそもそもの大間違え。

 

そもそも、ウソをつかなければ変態だと思われてしまうような、社会や同僚に、会社に、親に、兄弟に、友人など、こちらからバカ正直に付き合う必要はないし、彼らが正しいと思うことが、幼い頃からの親や教師からの刷り込み=社会的な洗脳であると、どうして思わないのか? 今の社会に合わせる必要などないし、法的に婚姻が認められたいと裁判してる輩たちの理由は、財産の分与とかそう言った理由だけであるから、そんなものでゲイの平等の主張を叫ぶことは間違っている。問題にすることは、心理的なことに尽きる。

異性愛者の会話にウソをつかないと入れない、だからウソをつく、、それがつらい自己嫌悪になる。。。というなら、そもそも、そういう異性愛者たちの輪にはいることが間違えだ。異性愛者と親しくなっても結局は気持ち悪いと思われる。異性愛者たちは自分たちがこの世界の常識だと思っていることからわかるように、かれらは精神的にまだ稚拙だとわかるでしょう。異性愛者に「人類皆平等」と思われるたいと期待しているゲイがいるなら、それは自分自身を大事にしない、という罪になる。

 

先日、総理秘書官が記者のオフレコで「ゲイが隣に住んでたら気持ち悪い」と言うような発言をしたのが発覚したが、彼に限らず異性愛者は皆、口にこそ出さないが(思いの強弱はあるが)皆、同じことを思っている。そう思っても間違えではない。

口に出しては言わないが隠していた考えが、これだけハッキリと表に出た意味は、300年経ったとしても、異性愛者の考えは変わることはない。また、変わる意味もない。なぜなら、気持ち悪いと思うことは個人の勝手で何も失礼なことじゃ無い。

たぶん、公人が、自分の気持ちを正直に話したから問題になったのでしょう。これが近所の親父が言ったなら何も問題にならず。つまり、この発言が批判される理由は、社会に対して、政治家に対して、お役人に対して、彼らは頭が良くて尊敬される人格である、という思い込みの幻想があるのが原因である。むしろ、彼の発言は、異性愛者たち皆の代表発言だと思っていい。更迭されたのは「たてまえ」であるのは見え見えである。

 

平等とは、相手と自分を同じにすること___ではない。

みな、平等を、勘違いしているようだ。

平等とは、中傷、怒り、卑下、などの人をバカにする感情を誰の心からも、なくすことである。そうなって初めて人は皆平等(な状態であって、実際の平等ではない)だと言える。しかし、これがなくなると思いますか?思わないでしょう?規則を作って「思わないふり」はできますが、だから、平等な世界などありえないのです。

 

口に出しても、思っているだけでも、どっちでも同じ。今の世界に平等はない。しかし、文書だけの平等は 存在する。でも、文書にされた考え方だけの平等など、絵に描いた餅、である。意味がない。

 

ゲイが性趣向のウソをつき続けなければいけない理由は、異性愛者が永遠に「気持ち悪い」と思っているから。社会から白い目で見られて、仕事にも暮らしにも、生きにくくなるから。つまり、相手に対して面倒な言い訳を毎日、毎時間、しなくてはいけなくなり、消耗し、自己嫌悪になったり精神不安定になったりてし生きることに萎縮してしまうからである。

 

カミングアウトしたゲイでも、異性愛者たちと一緒に生きことはできない。性趣向の違いは人間という生き物では一番大きな違いであることを理解するべきである。

 

いまは、誰もが「皆同じ人間だー」といって主張しているが、それが、そもそもの間違えなのである。

異性愛者と同性愛者は、肉体的にも精神的にも、まったく違う生き物です。

ゲイ同士でも性格の合わない相手もいるし、趣味も十人十色。野球、競馬が好きなゲイもいればアイドルの好きなゲイもいる。どこのジャンルを体験しても、どこにも自分が安らぐ場所など、もともと無い。

社会や同僚に、会社に、親に、兄弟に、友人のなかに、自分が自分としていられる場所は無い。 そういった理由で自分は誰とも親しくならないし、共感もしないし、誰をも尊敬しないし、誰とも輪になって連まないし、社会で本心を語る必要など全くの無意味だし、それがつらいとも、残念だとも、悔しいだとも、うらやましいだとも、まったく思わない。

 

社会も、同僚も、会社も、親も、兄弟も、友人も、自分に影響しません。

自 分 の 心 の 中 に だ け 真 実 が あ る こ と を 知 っ て い る 。

だから幸せです。