ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

満員電車に絶対乗らない、という人生観で66年。

3月になりました。

春間近。とくに予定は 無し。1年中いつも予定は 無し。

無し というか、予定をたてない性格です。

=行き当たりばったり というやつ。

幼い頃から、実は毎日ニコニコ。

八方美人のように見えるが、そうではなく、無邪気に近い。

高校まで自分でもマジに純粋だった気がする。

現在の18歳とは えらい違う。

でも、いまの18歳なんかおよびもつかない人生観を持っていた。

若い時から(幼稚園から)、世の中おかしい。。と思っていた(ほんとよ)

まず、社会人という、意味が理解できなかった。(いまも)

就職・・・というカテゴリーも理解できなかった(親父が職人だったから?)

高校で免許をとる・・という興味もなかった(田舎じゃなかったから?)

勝ち組とか負け組、とかいうひどい言葉も、ありえないことだし、お金を稼ぐ興味もマンションを買うことも興味はなかった。

そのなかで、とにかく「満員電車に乗らない」というのが自分の変わらない指針であった。絶対に満員電車で通勤、通う、はしないと決めていた。もちろん、今もその時間帯には電車もバスも絶対に乗らない。仕方なく通勤で満員電車になる人たちを馬鹿にしているわけではない。自分が嫌なだけでそういう仕事を避けたいと思っただけ。そうできない人は、そういう仕事や会社のほうを優先して選んだ、というだけ。

お金のために働く、将来家を買う、結婚資金を稼ぐ。。。など、マジ考えもしなかったし頭に入ってこなかった。とはいえ、裕福の家庭ではなかった。その正反対の貧乏以上普通ちょい下の家だった。そう、木造平屋のちゃぶ台で食事・・・という昭和の暮らし。

しかし人生で、就職を2回した。

1回目の27才の時に新聞の社員募集を見てコマーシャルのセット美術の会社に3年間。毎日ほぼ徹夜で明け方2時まで下北沢で飲み続けた。

このとき、上司の母親が亡くなった。同僚も下請けも、なぜか目立ちたくないのか手伝わない。自分がお通夜の手伝いを率先してやってたら、映画会社の東映だか東宝だかの下請けの中年の者たちが「ご機嫌取ってやがる」などと自分を陰口で批判した声が聞こえた。彼らを仲間だだと思っていたが、そうではなく、ただの金で繋がった者たちで、卑しく打算的な人間だと知った。周りの人間はパンドラの箱から出てきたような生き物だと思って、ここにいたらくだらない人間と付き合わないといけないと思い、2年後に退社した。

ダラリダラリと書いてきたが、何を言いたいかというと、周りの人間(親、兄弟、先生、友人、上司、同僚、、etc)の価値観で自分の人生を決めなかった。一応は聞いたが受け入れなかった。という自負。

こういった自分のような人間を、人は わかまま というらしい。

人の意見は反面教師。決定は自分の深いところ(本心)を聞いてする。人の考えで決めたこことはなかった。

それを人はわがままと思うらしい。人は自分の思い通りに動かない人間をわがままな奴、という。

しかし、66年間、人が言うところの「わがまま」に生きて、まるで不幸のどん底に落ちなかったこと。人間関係での悩みはたくさんあったが(ブログの初期を参照)、自分で決めたからまったく後悔はしてない。ダメな結果も中途半端な仕上がりも友人と共感できなくても、ひとりでも、自分に嘘をついて付き合うより健全で満足。自分のしたいことをして自分で決めたことで絶対に不幸だと感じない、と、はっきり言える。別に運がいいとか悪いとか、そういうのとは違う。

自分だけの結果だが、将来の予定(結婚、家を買う、偉くなる、などの社会や第三者から刷り込められたような縛り)を軽蔑し、自分の考え(わがまま)で決定すること。これを不安だと思って踏み出せないのは頭が良い人に多いこと。バカは社会に左右されないから笑顔で一歩を踏み出せる。これが本当の自由という意味だと思う。

でも、不安になってまわり人間に意見を聞くようなことをすると、必ず失敗した!と思うだろう。混乱してよけいに答えは出ず、自分の人生の正しい道がわからなくなる。気をつけましょう。

bearpond.hatenablog.com