ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

冷めた人間関係しかできなくなった

ゲイはノンケたちの中では ほんとに生きづらいネ。

隠して生きるのに、ウソをついて話を合わせないとバレるし、若い時はそんなことをして仕事や一般人との付き合いをしていたけれど、それが長いこと習慣になって、どこか冷めた人間関係しかできなくなった。みな、そうだと思う。

それはゲイの宿命。

世間の中で、一般人とゲイは冷めた付き合いしかできない。

まぁ、しょうがないよ。

本心の感情で人と接することができない。

これはかなり演技力がつく。

書いてるうちに30年ぐらいも前の事を思い出した。

趣味でバンドやってるゲイの子と知り合って、そいつはとてもモテる外見であったので人気があった。で、彼はゲイの真面目な運動をしていて、ちょっと忘れたがエイズが流行ってた頃だったと思うが、ゲイのフリーセックス反対!とかいう、運動だったような気がする。つまり、コンドームをしましょう!とか、恋人だけとセックスしましょう!とかいうスローガンだったと記憶してるが、それで、何回か新宿のサテンでお茶して会ってる時にそいつが話した。

「ゲイの運動なんかしてるけれど、本当は浮気もしちゃうし、誰かと危ないセックスもしちゃうし・・・」

と、話していた。

なんか、わかる。

ただただ隠れて生きる。。というのが、みじめで、しんどいんだと思う。

だからそう言う真面目で社会的な活動をすれば、自分がみじめじゃないと思えるんだと思う。だから、べつに真面目にスローガン通りに生きてなくたって、本心はそんなことはどーでもいいことなんだと、思う。

だからってLGBTだー!って社会に叫ぶのも意味ないと思ってるしネ。

人って単純な生き物だと思う。

ただ毎日普通に暮らせて、食事を一緒に食べながら本心で話せる相手がいて・・・

それが何よりもすごく幸せだって、わかる人はわかる。

エドガー・ケイシーの言うような、人のために生きる。。というのも、自分に正直に生きれないのに、他人にどうやって接すればいいのか? まったく疑問だ。

人のために生きることができる人は、ウソをつかなくてもいい人だけだと思う。

セクシャリティーというのは、大きなことだと思うから、そこでウソをつかないといけない状況では、いつ「あなたゲイじゃないの?」と言われないかとビクビクしながらウソにウソを重ねて接していたら、他に何も行動ができないということだ。

 

生きてるのに、ただ毎日普通に暮らせて、食事を一緒に食べながら本心で話せる相手がいる、ただそれだけでよくて、でもこの社会のなかではレストランやショッピングや、社会の派手な場所ではどこでもゲイには難しいことで、でもそんなこといくら考えても結論はでず、間違って面倒なことになったら嫌だから、やっぱり今まで通りウソをついて生きてるほうがいいや・・・と。