ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

自分がウィルスに勝つこと、それは感染しないこと

f:id:bearpond:20200730205223p:plain※エイズで亡くなったと言われているフレディー・マーキュリーと彼氏


 愛知県豊橋市のパン屋さんから、くるみパンや全粒粉のパンなど3個選んで2200円を2セット買って今日食べた。他には成城石井に卸しているピクルスとか、最近、近所のネットスーパーだと売ってないものを、他県のメーカーから買っている。 街のスーパーは保存料やら増粘剤やらが入ってるので、頭とかが痛くなる事が多いからだ。少々、価格は高めだがそんな量を食わないのでまぁいいかという感じだ。

 コーヒーも1パックづつのドリップコーヒーをなんと500袋も買ったのですよ!500袋!でもこれ半年で飲んじゃいます。このコーヒーは大阪のメーカーです。大阪ってやっぱり商人の町だなって思う。食い物や製品のメーカーが多い。街で買えない福岡のメーカーとか岡山とかのメーカーのキッチングッズやちょっとしたフックとかがサクッと買えて、とてもいいね。ネットってやっぱりすごい。

 

 昨日は小池さんほか首都圏の知事、大阪、愛知など大都市一同が、飲食や酒場などへ営業は夜10時までと、やっと重たい腰を上げて具体的な時間制限を出した。

 しかし生ぬるい!でも効果は無くはない。こうやってズルズルとやっていくのが日本流。 聖徳太子の時代から、何事も日和見主義ではっきりしないのが日本の得意技。それで乗り越えてきた歴史がある。

 普通の主婦(自称)が感染して、モザイクかけられて一体どこでもらったか全くわからないと言っていた。マスクも消毒も会合もせずにいたのになぜ?と言うことだが、絶対に「どこか」で感染したのは確かなのだ。

 自分だったら神経質に細かく検証して、「あ!ここだったのかもしれない。」と言うところまで突き詰めるだろう。じゃなかったらこの主婦は空気感染したか宿主になってしまう。それはありえない。 普通に道を歩いててマイクロ飛沫感染した、、って言う可能性は低い確率でありえるが。

 主婦だったら、感染確率の高い場面はいっぱいあると思うけど。ざっと思いつくのはスーパーの買い物かご、パックした食品、ATMのボタン、子供から、孫から、100均の商品、パートの仕事、マンションのエレベーター、オートロックの認証ボタン、たくさんある。誰かとしゃべらなくても運悪く前の人の触ったものや魚の切り身パックを触ったものを手に取って、そのあと自分の顔を触った、と言う可能性もある。だから、「なんで?」と言うのは忘れているだけだ。

 最高に感染を気をつけるハイレベルを[10]としたら、この人はきっと[5]ぐらいかな?って思った。この人の言うことを全部信じたら全ての人が感染すると言う理論になってしまって、でもそこまではまだありえないわけで。

 人に接触しなくても感染者が触ったものには注意がいる。だからスーパーで人混みを避けるだけじゃ足りない。自分の注意ベルを[10]に引き上げないと。

 食料品の場合(ネットスーパーだけど)防水になってる食品類の容器は全部バケツに入れて洗い、ビニール容器は洗剤で拭き洗いか消毒スプレー。パンの袋も全部。そしてすぐに食べずに1、2日置いてから触るようにしています。

 みんな暮らしかたが違うから注意してたのに感染した、って言うことに対して、本当にまったく感染しないようにしてたのか??と聞きたい。じゃなかったら前に書いたように空気感染してるとしか考えられない。 感染不明と思っている人に限ってどこかテキトーだったか、避けられない場面があったから、だと思う。ただ医療従事者や介護施設のヘルパーなど感染の確率が高い職業の人たちは日々予防の連続であるだろうが、それでも感染してしまうということが起こる。だから、そこまでじゃない主婦や会社員などは十分に気をつければ確率は低くすることができるはずだ。そして結果、感染しなければ医療が大変になることはなくなるのだ。

 前のように生活したい!どこか自由に出歩きたい!とか、それを夢見るのもいいけど、このコロナウィルスとの戦いは社会をどうするか、とかでは無く、自分自身との戦いになっている

 世界で日本で感染が拡大していても、まずは自分がウィルスに勝つこと、それは感染しないこと

 ずっと感染しないでいることがウィルスに勝った、と言うことになる。 この逆境に対して自分がどこまでできるか? テキトーに遊んで気をつけないで感染したら自分自身に負けた、と言うことになる。それは戦いに負けたということでこの先の人生に大きな負い目を追うことになるから、それは避けたい。そういった個人的な問題になりつつある。

 もし自分が水商売や飲食をやっていたとしたら、2月後半から3月頭ごろの時点で終業してると思う。つまり、感染症でなくても飲食や接客業というのはとても不安定なことは変わりないし、だから、そもそも水商売には手は出さないが、しかしもし飲食業をやったのなら最高の敵は面倒な客や資金繰りじゃ無く感染症じゃないか?と思うわけです。

 きっぱりやめて家族持ちだったとしても感染症の流行で接客業は無理だと次の人生を考えると思う。また、金銭的な問題があったとしたら早めにけりをけたほうがどっちみち借金があるなら膨らまないほうがいいわけだ。3月からこの8月までズルズルとやっていくほうが損益が膨大になる。従業員の生活のために必死に続ける、という気持ちも嬉しいものだけど、何をどうガンバレるというのだろうか?

 エイズが流行った時、セックスなどの濃厚な接触、体液や血液で移ると言われた。今回のように簡単には移らないウィルスだが、飲食やゲイバーでは恐怖の連続であった。一般人には縁がないと言われていたエイズだが、のちに実はゲイの病では無く野生動物のサルが宿主で麻薬患者の注射の回し打ちなどが原因で広まったことがわかった。一説には、当時の「ゲイつぶし」を狙いとある政府が嘘を流したという説もある。キスや唾液で移ると言われていたのもウソだったし、あの当時はかなり混乱した恐ろしい時代だった。感染したらイコール「死」と「偏見」と「差別」の嵐であった。そして決して治らない感染症と言われていた。

それに比べたらこのコロナウィルスのなんと公平なことだろう。

 エイズの場合は、仕事が追い込まれるというより、その人の人生が追い込まれる。ゲイの病で体液やセックスで移ると印象付けられているエイズと比べたら、今回のコロナウィルスは恥ずかしく無く言えるし、次の人生に向かっていくにしても行動も起こしやすい。

 感染症は蔓延したら人の人生を180度変えてしまう。商売も遊びも仕事も全てが今までと変わる。だから感染症が起こったらウィルスに追いつかれないように、じゃあ次へ行こうーと、ウィルスより先に人生の転換の速さが必要じゃないか?と思う。