自分は66歳。この歳だとは自分で信じられないヨ。
年相応の自覚がない。
結婚してないし、子供などのしがらみがない。
世間の常識を気にしないこと=結婚してないから=女性がいないから、というのが年相応の考えをしてない(する必要ない)理由だと思う。責任あるしがらみがほぼない。悪くいえば責任がない生き方をしている、というチャランポランな人間だからでもある。
責任がある生活が生き甲斐だと言う人もいるだろう。それはそれで楽しい暮らしかもしれない。その世界のなかで生きる実感を味わえるから。死ぬ時もその生き甲斐の家族の近くで終わりになるのだから、安心だろう。
家族がいて、そのなかに女性がいた場合(たぶん皆いるでしょう)、男が自分自身のことをもう老人だと思わないといけないのは、家族や奥さんや子供や親しい女性に気を遣う暮らしだからでしょう。男は(ノンケ)そういう生き物ものです。生活のなかのボス=上司=は、女性です。
女性の目が口が、年齢のいった男を老人に仕立てるのです。
「お父さん、もう年なんだから無理しないでヨ!」とか、
「あぶないからもう車の運転しないでね」とか、
「急に倒れたら嫌だから病院行って検査してくれない?!」とか、
「一緒に歩くとみっともないから派手な服は着ないでよ!」
とかね。
男は自分ではまだ若いと思っていても女性から年寄り扱いされるわけです。
周りの目があるから年相応にして と。
ゲイたちは皆若く見えます。自由な感じもあります。それは異性に気をつかって生きなくていいからです。
ゲイの男性は女性に気を使わなくていいので自由で若々しい。
ゲイの女性も同様。男の目を気にしなくていいので気持ちは自由。
自分は世間体や女性に気をつかう必要がない。
まわりにめんどくさい女もいません。
派手な原色の服も、デザイナーの服も、赤いジーンズもはいて出かけられます。
美容も自由です。料理も好きなものを作れます。
世間体という息苦しいものがないので、気持ちが楽です。
だから一般の66歳のサンプルには全く当てはまらない。
でも不思議なのは、前に書いたけど、知り合いの男性が全員77歳なんです。
こんなことあるんでしょうか?
全員77歳です。今年で78歳になる人たち。皆、ノンケです。
その77歳の知り合いたちは、皆同じように自分自身のことを何かあるたびに、
「もう年なんだよ」
というんです。
これ、ほんとに嫌です。
卑屈になってませんか?彼ら?
そのわけは、奥さん、妹、家族の女性たちに「年相応にして」「年なんだから気をつけて」と(半分想像)、彼女らは心配してるんじゃなくて、これはもう洗脳です。
ノンケの男たちにとって、女性は一家のボスです。
年をとって女性に逆らったら、離婚、食事放棄、などなど、大変なことになるのを知ってるのです。
歩くのがしんどいとか元気がないとか病気が見つかったとかは(それらがすべてじゃないけど)歳をとったせいだけじゃなくて、周りから、とくに女性たちに言われたせいで、その通りにならないといけない、と思うばかりに、本人が毎日希望を持って楽しく積極的にいることを、あきらめたんです。
周りから言われて思い込んだり、世間の目を気にして年相応にしなくちゃいけない・・・と思うから老人にならざるおえないのです。
男が「もう年なんだよ」
と、言う本心は 「年相応にしなくちゃ怒られちゃうんだよ」ということでしょう。
世間に、嫁に、娘に、子供に、
あぁ、なんて悲しい男たち。