おとこひとり

59才おとこ・筋トレ・服・デザイン・時代・哲学

男はケツ

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男らしい という感じで好きです↑ シンプルなTシャツにスキニージーンズ、そう、体がそれなりに筋肉あって姿勢良いボディーじゃないと、こうはならないのです。

日本人には無理かなー、この感じ。

この雰囲気をかもし出せたらすごいセンスだと思う。

服を着て歩いてるというより、体が歩いてると言っても良いでしょう。

服に着られない様にするには、やっぱり身体を鍛えないと。

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男は ケツ です。

大胸筋よりケツがしっかり筋肉あって上がってるとSEXYです。

ケツがこんな感じだとどんなジーンズ履いても似合う。

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[KOE] x THOM BROWN コエxトム・ブラウンの服

THOM BROWN というニューヨークのデザイナーの服が自分にいいんじゃない!と思った。日本のブランドKOEとのコラボの服。 色調は2017−18年はグレーとかシックで派手じゃないのにデザインが独特である。お人形さんの服みたいなのだ。好き。リカちゃん人形に着せたら似合いそう。こういう感じ、好き。アメリカントラッドを引き継いだスタイルらしいが、ずっとHERMES が好きだったが、どうも自分の顔には似合わないので、[KOE] x THOM BROWN にこだわって見ようかな?なんて思ってます。

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なんだか、もしかしてGAYで、 そのイメージのファッション? って思わせる感もあるが、シルエットがタイトで色がグレーとかで、イメージも危ない感じと、子供っぽさとオモチャっぽさが混ざった感じで好き。

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THOM BROWN って俳優やったりモンクレールやラルフローレンのデザインやってたという。

 

ちなみに、ZOZOTOWN で、これ↓買った。

アヒルの刺繍が散らばったネイビー色の、袖が素材違いのPコートとグレーチェック柄のブルゾン。

タイトなシルエットだけどワイドは十分あるサイズ。気に入ったのは、袖が短いデザイン。日本人(自分)にはうれしい。ドルチェ&ガッバーナなんて袖が70〜75cmもあったりして、いったいどんな人向け?って思う(外国人サイズだと思うが)。袖の長さ75cmなんてありえん。

なんか、お人形さんの服みたいで、好き。モデルが人形っぽいからかも。

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 パンツ(スラックス)がみじかいのはダサい、と書いてきたが、この場合のファションはモードであるから、まったく変じゃない。むしろ、デザイナーの色が濃く出ている短いパンツルックはおもしろい。 イギリストラッドのクラシックなスーツやパンツでモード系じゃない、いわゆる昔のアイビーのようなカッコでシューズがウィングチップとかデザートブーツとか、コンサバ服でパンツが短いと、変だ。

現実とはすべて「今この瞬間に自分が起こしている状況」である、ということを認識しないといけない

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人との密着が苦痛になっている。 混んだ電車の席で隣りの肩やモモが密着する。端のほうの席に座るとドアに寄りかかった女の髪の毛とバッグが頭に当たる。 人との接触がこれほど苦痛なのは更年期障害なのか? 皆、満員電車をしょがないものだと、いちいち文句言ってたら人生進まないし、と、思って耐えているのだろうか? それが普通になって気にならなくなってるのか、思いっきりガマンしてるのか?

なぜ自分の思ったようにならないのか、よーく考えてみた。その結果、今自分が生きているこの世界、日本、住んでいる地域、それらは現実で、理想なんて無いのだと、苦痛も疑問も、それらの嫌なことすべてが事実でそれが現実であると、それらがこの先自分が思ってるほうへ変わるかもしれないし、悪くなっていくかもしれないし、それはわからない。でも、今の不満や疑問は自分が感じていることで、ほかの人は感じていない場合もある。つまり、疑問に思う事柄は自分の中だけで起こっている現象であって、現実とはすべて「今この瞬間に自分が起こしている状況」である、ということを認識しないといけない、と思った。

犯罪者も、ちょっとしたルール違反も、ずるい奴も、すべて自分が生きているこの瞬間に現実にいる。それは自分が作っている現実のなかの一コマ。だから、「何で?」という疑問はおかしいことで、自分が好きとか嫌だとか不満に感じないでいれば、その事実は自分に起こらないのである。ややこしいが、自分がすべて起こしてい現実である。

そして、無意識に自分が作り出している嫌な世界から自分は逃げることはできない。だから、それらを「どうしてだろう?」などと考えることには意味が無く、起こっている(起こしている)現実を客観的に認識しながらして生きていくしかない。

しかし、人に左右されない「自分だけの世界」がある。たぶん。それは現実のようにリアルではなく、たぶん、物質のように触ったりできるものではなく、「意識」のようなものであると思う。

ハートのトラブル

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去年、女性オーナーの店舗デザインをしたのだが、内装屋とか自分と関係ないところでいろいろもめて、やっと別の建築家に決まってオープンした。センスの良い一級建築家が新しく決まったのだが、普通の男である、であるからして、女好きの男ってのは女性目線のステキさとか可愛さなんてまったくわからないし、ソリッドなデザインになりすぎて、それなりのカッコよくはなるが青山、西麻布的な気持悪デザインになって、やりすぎないようにするため、内装の一部にハートのタイルを張るようにアドバイスした。

その仕事がほぼ終わりになりかけたころ、店の置き看板を店に届けることになった。置き看板は30kgぐらいあって重いので車じゃないと無理だ。しかし、コチラから運ぶ人員が見つからない。店まで東京から2、3時間、県をまたぐので遠い。それで、結果、別の部署の社員に車で運んでもらったのだが、コレは上司が段取ることになっていたが、運ぶ予定の社員と運ぶ段階でケンカになって、ついには電話に出なくなり逃げると言う、まさにサイコパス的無責任になった。 その社員が困っているのを察して自分は、送る住所、地図、看板の設置位置、先方への連絡、その後の指示、などなど、かなりの細かい指示をして運んでもらった。当然である。その社員はいままでの店舗の経過など何も知らないのだから。 その社員との指示時間は電話とメールでたかが約3、40分である。そんな簡単な事務的な段取りさえ出来ないどころか訳の分からないヒステリーで逃げたのである。

部下のミスを上司が面倒を見る、というのが普通のあたりまえの会社であるのに、自分の会社はその逆である。上司のバカなミスやヒステリーを、社員、部下が、面倒を見るのである。こんな会社、おかしい。上の立場の人間がひどい人間だと、すべての仕事が気持よく終わらないどころか、仕事関係も人間関係においても、すべて不条理である。

しかし、皆(社員)は、よくガマンできてると思う。3年前には辞めさせた2人に労働トラブルで訴えられたようです。コレより約10年前にも社員と裁判になっった経歴もあります。これまでやめた人はもう何十人もいます。こんなのどこでも聞いたこと無い。かなりヤバい歴史です。辞めた人間のほうが「まともな人間」だと言えます。

年末に看板事件があって、自分はそうとう頭にきたので、いっさいの電話に出ることをやめて今に至っています。普通の会社では考えられないことです。でも、もう自分から「辞める」とは言うのはやめようと思ってます。バカらしいので頼まれた仕事だけやることにしました。何も頼まれなかったら、ずーっと何もしないでいることにしました。普通の社員だったらありえない状況だけど、普通じゃない上司であるため、自分を信じてそうしようときめました。こういうことは友達に説明してもまったく理解できにないようです。

自分の会社の立場はけっして低くはない。自分は無言の抵抗というものができる立場なので、その上司がサイコパスだとわかってから、話し合いも意味ないし理解はされないし、よけいややこしくなるだけであるから、何か感情的なメールが来たとしても、冷静な態度で意見や不満などはいっさい言わないで逃げることにしました。つまり、「今までグチや不条理を聞いてきましたが、もうあなたの味方ではありません。」というメッセージを感じさせるためです。これで、1年か1年半、このぐらいが限界かな、1年半まで乗り切って、その後はいっさいの縁を切ろう、と考えています。

目に見えないもの

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Illustraton by Keiko Ajito

 

電波って 目に見えないのに、誰も不思議に思わない。

空間を行き来しても見えなくて、不思議ではないか?

目に見えないけど、その効果が実感できているから、

見えなくても不思議に思わないのだろう。

「愛」や「憎しみ」、すべての感情は目に見えない。

見えるのはそれによって引き起こされた態度や言葉。

「愛」や「憎しみ」という動的な振動は、目に見えないのに不思議に思わない。

 

遠く離れた相手への感情は、

電波のように空間を走って相手に向かって届くだろうか? 

ただし、アンプのように「増幅器」がないと感情はその密度を保ち空間を走っていかないかもしれない。もし届いても誰の感情か特定できないかもしれない。

そんなことを考えていると、一つ思いつくことがある。

「呪い」または「祈り」

どちらも欲望の感情だけれど、呪いのような負の感情にはパワーがある。

最も強いパワーがあるのは憎しみ、怒り、などで、愛情や希望などはその持っているパワーは弱い。

呪いの増幅器には古代からいろいろと使われている方法が実際にある。

自力ではなく、他力本願で目に見えないものに頼って願をかける。

話がオカルトちっくになってきたのでこの辺で終わろうと思うが、電波のように確実に届くといことはないが、目に見えない電波は人に例えると「願い(念)」だということだ。

 

 

HERMES のネクタイをプレゼント

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友達の51才の誕生日祝いにHERMES のネクタイをプレゼント。

紺地にブルーのHマークのパターン柄。去年買っておいたから2017年の新作。

所帯持ちの人に贈るのはタブーと思ってます。どっかのバーのネェちゃんが贈ったっぽくなっちゃうから。

HERMES のスカーフは女性へのプレゼントとして定番かな。

男性モノのネクタイはスカーフほど値が張らないのでよいです。

50代以上の方で落ち着いた方へのプレゼントだったら喜ばれるかな?

人をバカにして楽しむという感情を作ってしまうコンプレックスを武器だと勘違いしているお笑い芸人達

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お笑いを見ようと思わなくなって、かなりの年月が経つ。

当時、往年の漫才師を見ても「クスッ」っとする程度であったし、とくにお笑いが嫌いなわけじゃないのに、お笑い芸人って、なんであんなに笑えない人ばかりなのだろう?と思う。変な顔、バカな態度、大きな声、女装に派手な衣装、そんな小細工ばかりで本当の「芸」の域で笑わせてはくれない。若い芸人は学校の放課後に皆の前でやるレベルをいつまでも超えないしプロだとは思えないつまらなさだ。

お笑い女芸人は、ブスとデブがひとつの笑いネタだと思っている。

ブスでデブあれば皆、笑うと思っている。しかし自分はまったく、一切、おかしいともクスッともしない。なぜか? ブスは顔形じゃなく心がブスだから外見がブスなだけで、その外見は笑う要素など、どこにもない。デブも、それ以上に笑う要素は無い。普通の主婦でデブでブスな女性が居たとする、しかし、その女性は気が利いてやさしくて暖かい普通の人だったら? そこに中傷やさげすむ笑いが起こるだろうか? 笑うことなどありえない。しかし、ただ外見がブスでデブの女が自分のコンプレックスを武器と勘違いしてお笑の世界に入ることは、それを見る一般大衆に誹謗中傷やいじめや人をバカにして笑うと言う、必要のない負の感情を新たに生むことにもなり、外見をネタにする事はすべてのことにおいてタブーであって欲しいと思っている。何でも「笑い」があれば許されて良いことなのだ、というのは疑問である

もう亡くなったがイギリスの芸人、Mr.ビーンは、唯一笑えた。いや、笑えたというのは正確ではない。この人の見事な「職人芸」に感動して結果、いい気分になったのである。このおじさんの変な顔、変な行動だけでは笑うことはできない。綿密に計算された芸がすばらしいから顔が緩むのであって、ただの変なおじさんで笑うことはない。

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ブスやデブが さらに変なカッコや化粧をして気持悪くして、ただそれだけで「笑い」を取ろうとするのはどこか間違っていると思う。こう言うと頭のお固いジジイの発言のようだが、ブスやデブが芸もせずにただアホずらしてるだけで済ます芸人も芸人だが、皆(一般人)は本当にこれを気持よく笑っているのだろうか? 芸人という職業でブスやデブがそのままの姿をもっとひどくして、「ひで〜!ブス!ハハハ!」と笑いを取ろうとしているのだから本人は笑われても差別にはならず。自分の醜さを明るく振る舞うことで、「こんな私でも求められてるんだ!」って訴えてるのだろうか?

人をあざけりバカにして笑うと言うことは非常に罪であるが、それがお笑いであると許されるのである。何度も言うが、本人は良いかもしれないが外見のコンプレックスを笑いのネタにするということは、人をバカにして笑うと言う状況が許されるのだという間違ったルールを、人がもともと持っている「人をバカにすて楽しむ」という感情を発生させ、演芸の中ではなく一般の社会の中に新たに作ってしまうことになるのだ。

現代の笑いは、あざけりバカにし醜い姿を笑いバカをバカにし、ただそれだけなのだ。ファンもお笑い芸人もいったいそれをどう考えているのだろうか? いや、たぶんそんな深く考えていない。ただ自分はブスでデブだから、人からバカにされみっともないって笑われてなんぼの世界だし、技なんてないし、そんなお笑いでいいんじゃない?自分って?って思っていると思う。不勉強で軽い気持だと思う。

何の技も無い醜さを売りにする芸人達を見るのは忍びない。

フェイクムートンは写真映えするだけで実際は安っぽい

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ムートンのコートかジャケットを買おうか?と見回っていると、フェイクムートンのコートが目についた。フェイクである。 写真で撮るとまあまあチープでない感じもするがメンズのほうはフェイクのくせにMORGAN HOMME で3万近くする。女性のほうも2万ちょいだったか。本物ムートンよりも安いが、その価値は軽さと気軽さしかない。逆効果は限りなく「安っぽい」ということだ。

実際はどうかと電車内でフェイク着てる人を探して見ると、やっぱりかなりのチープさであった。今やフェイクのレザーは軽くて汚れても気にすることも無く人気があるが、やっぱり、その肌合いと質感は石油系そのものであるし、着ている人はどこかホコリっぽくモサモサしてるツヤのないファッションの人が多く、フェイクムートン&レザーの服は絶対買ってはいけない!と思った。とくに黒ではなく薄い色系は気持悪いツヤがあって恐ろしいほど安っぽい。小学生か中学生の服だったら良いが、いい大人がフェイクのアウター着てるのは、どんなにデザインされわざとフェイク使ってる風な服でも、着てる人の価値は確実に下がる。

駅の反対側のホームに、80代ぐらいの品の良いおばあさんが、ダークグレーのミンクのロングコートを着て、しっかり立って電車を待っていた。スゴく自然でイヤミ無くステキだった。このおばあさんが、フェイクムートンであったらどうか? もう、悲しく情けなく、の一言になる。なぜって、高齢になり今まで積み上げた人生の重さがあるということは、本物が似合う、ということで、本物を着ないとただの落ちぶれた年寄りに見えるのである。年齢と着るもののバランスは大事である。だからまだヒヨッコの小学生がムートンのダッフルコートを着てても不自然ではないのである。

そんなフェイクムートンは写真映えはするが、実際は石油、つまりポリエステルそのものであり、どんなにファーの質が進化したと言ってもポリの均一の表情は安っぽさ意外何ものでもない。

 

スパに行く途中に巨大なマンションがあって、その駐車場へ30代ぐらいの両親と男女の子供が入っていった。子供は小学生1、2年だろうか、2人とも、やたらオシャレしている。そのオシャレはアウトドア風のファッションで色は赤や黒など目立つ原色で、ところどころに白黒のボーターを入れたりして。で、その男親は黒い薄手のダウンの上下(パンツはヒザ下がニット)にウールハット、母親はブラウン色のロン毛を振りかざし(カッコはよく見なかった)、なんと目立つ親子。子供が異常に気張ったファッションしているので痛々しい。親子4人がすごいガンバってる感在り在りのファッションだと、あぁ、日本はやっぱりアジアなんだなぁて、思ってしまう。生活水準は高いが、「洋服」というものに関して「自然でステキな感じ」というものがない。簡単に言うとアジアに多く見られる足しすぎコーディネートである。気取りすぎてるファッションよりは好感度あるが、日本は幼稚なファッションが主流であると言える。

きのうから今日の行動

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今日のSTYLE: Pコート、中綿ダウンベスト、ショルダー(キャラバン)、レースアップブーツ:HERMES

<きのうから今日の行動>

正月になって、呑み会も今週がピークだ。

今まで誰かとつながるのは面倒だったが、1ヶ月前にあのラインをダウンロードし、初めて使ってから友達と会う機会がすごい増えた。人とつながるのは面倒かな、と思ったけど、ある距離を保っていれば、大丈夫そうだな。

温泉スパに行く途中、携帯ショップに行ってみた。自分はガラケーである。iPadがあるのでアプリ系はそちらで使っているが、しかしiPadは大きくてポケットに入らないので、スマートフォンの安いのでも買おうかな?と思っていろいろ触ってみるが、やっぱりスマートフォンは高級で無駄な遊び道具だな、と実感した。実際に使う機能は限られているのにアプリを使えと言わんばかりに入っているし。しかしそのほとんどのアプリはゲームだったり生きて行くのに重要でない遊びだ。安いとはいえコレに毎月月賦で機種代と通信費など払っていくのはバカらしいと思った。しばらく店内をウロウロしたが、買うのやめて温泉スパに向かった。

雨が降ってきてコンビニで折り畳み傘を買って銭湯へ向かった。温泉スパってホント気持ち良い。まず38度ぐらいの炭酸泉でゆっくり血行を良くし、露天でぼーっとする。コレ最高。客は老人が多いと思いきや、若パパさん、体育系、が癒しに来ている湯だ。

 

今日は祝日のため若い家族連れがたくさん街にいた。ぎゃーぎゃーと子供がうるさい日だ。家族、子供、祖父祖母、そういうのがある人は、それはそれで生き甲斐のある人生を送って行くだろう。家族の縁がなく悩む人達もいるだろう。悩むということは欲しているということだから、がんばって欲しいものを得る人生に進めばいい。自分は「縁」も「しがらみ」も「特別な人」も欲しいとは思わないから、自分勝手にゆっくり温泉につかって朝まで呑んで自分のためだけに時間とお金を使い人生を終えていくのだろう。

良心の無い人=ソシオパシーはすぐそばに居る!

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他人のブログを見るとはなしにまわっていると、興味深いものがあった。

 

「心をもたない人たち」 (草思社文庫)
作家:マーサ スタウト, Martha Staut, 木村 博江 出版社:草思社

によると、

良心の無い人、良心欠如の状態は、「 社会病質 ( ソシオパシー )」という症状らしい。病気?といってるが、そうだろうか? 具体的にどういう人達かと言うと、

 

 一、社会的規範に順応できない
 二、人をだます、操作する
 三、衝動的である、計画性がない
 四、カッとしやすい、攻撃的である
 五、自分や他人の身の安全をまったく考えない
 六、一貫した無責任さ
 七、ほかの人を傷つけたり虐待したり、ものを盗んだりしたあとで、良心の呵責かしゃくを感じない

 ある個人にこれらの“症状”のうち三つがあてはまった場合、精神科医の多くは反社会性人格障害を疑う。

 

ということらしい。

このようなこともかいてあった。

 

 彼らは口が達者で、表面的には魅力があるという。周りにいる「ふつうの人」よりも、魅力的で「面白い人」に見えるので、多くの人がその人をサイコパスだとは思わない。さらに「ふつうの人」が想像もできないほど簡単にウソを吐き(罪悪感がないから)、さらに外面がいいので、周囲からの好感も高いため、「ふつうの人」は「自分がおかしいのだろうか」と疑心暗鬼になり、サイコパスの糾弾に到らないこともあるのだとか。

 サイコパスは、異常なまでに暴力的ということはなく、明らかに「変な人」でもない。「善人」を装ってあなたに近づき、あなたは知らず知らずのうちにサイコパスの「100%利己的な行動」に巻き込まれてしまうのだ。

一見、魅力的で引きつけられるが、身近につきあってみると、うそをついて人を操る、都合が悪いと空涙を流して同情を引き、相手に「自分が悪い」と思わせる、追いつめられると「逆ギレ」して相手を脅しにかかる……そんな人たちがいる。彼らは自分にしか関心がなく、他者への愛情や責任感によって行動が縛られることがない。つまり「良心」をもたないのだ。出世であれ遊び暮らすことであれ、手段を選ばず自分の欲求をみたそうとするので、周囲の人は手ひどいとばっちりを受ける。だが本人は悪びれず、自分こそが被害者だと言いつのる。

 では、どうやってサイコパスを見分ければいいのか。「最高の目安」は「泣き落とし」だという。何か問題が起こった時、相手が怒ったり自己主張したりするのではなく、「周囲の同情を買おう」としたならば、さらにそれが「何度も」そうなら、ちょっと警戒した方がいいかもしれない。

 

こういう人、大昔からいると思う。 皆が善人なわけないし、心が無い人、良心が無い人が居ないと思ってることがおかしいわけで。でも、細かく分析されると、納得する。

まさに、自分の上司がコレ。ほぼ100%コレ。

こういう情報をしらなかったときは「なぜこの人はこういうことをするのだろうか?」と、疑問を持っていたが、疑問を持つこと自体無駄だった。そういう資質の人間であったわけだから。上司は話しはうまく初対面は皆、魅了される。しかし、よく知ると恐ろしく嘘つきで、キレやすく、裏では他人を傷つけ罵倒し喜んでます。自分より立場の低い存在を傷つくのを楽しんでます。でもすべて、自分は悪くないのです。すべての原因が他人なのです。

 

いろんなブログに書いてあったが、ソシオパシーだと思ったら、関わらないことが良い、ということです。ま、あたりまえのことですが。でも、仕事や身内などの場合は関わらないとしょうがないので、強い意志を持ち、しかし、あまり逆らってるように思われないように、言いなりにならないようにしないと被害をこうむります。

冬のコート

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きのうは 冬に一回、いや、まったく着ない時もあるコートを着て出かけた。

非常に分厚く重い昔ながらの仕上り。黒、オレンジ、マスタードの3色カラーの柄であるHERMES ロカバール・コート。

柄の主張がはっきりとあり、とてもコーディネートがむずかしいコート。街を見るとグレーや茶、ネイビーが主流でこういうカラーはあまり着てる人がいないのでとても目立つ。エリの形もレトロであるし、恐ろしく肉厚なので動きづらく脱いでたたむとすごいかさ高になる。しかし、いかにもコートらしいコートであるから愛着があって好きだ。ただしヘビーユースはむずかしい。

 

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温泉銭湯スパに行く途中、マンションの樹木の枝を植木職人が大勢で切っていた。おさるさんのように木の枝に足を踏ん張り軽々しい。植木職人のスタイルはカッコいい。それに植木職人ってデブがいない!皆小柄で(なぜか)絞まった体で小気味よい。

 

「美」はギリシャ彫刻の中にあり、ファッションセンスを磨くツール

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SHOES, WOOLCOAT, DOWNBEST, HUTING,BUG : HERMES

 

街を歩いていると、くすんだ黒の安っぽいダウンジャケットに、同じく黒っぽいポリエステル系のスラックス、それもサイズオーバーでだらしないパンツに、スーパーで売ってそうな韓国か中国製のスニーカー。さらに頭には英語の刺繍があるキャップと言う、どーしてそんなスタイルになるの、という中年男性ばかりである。オシャレの”オ”の字もないスタイル。ユニクロでも良いから全部取っ替えて欲しい。もともと服に興味ないんだな、と思うし、服を気にすることが恥ずかしいとか女々しいとか、そういう風に思っている男である。そして奥さんが見放してるか、独身でケチで、「美」という意識が薄いのだと思う。

服のセンスが良いというのは「美的レベル」が高い、と言っても良い。第三国、後進国はオシャレに気を使ってはいるがセンスが無いことで「美」にはまだまだ遅れてしまっている。「清潔感があれば良いのだ」なんて言うのは「服着てれば良い」と同じぐらい判断に入らない言葉である。オリンピックの開会式で選手達がユニフォームを着ているが、その服と着る人の意識と肉体が混ざり合ってひとつの「美」を作っている。世界中の服を比べるのは楽しい。国の違いにより肉体と服とのトータルな美の差があることは明白である。

黒のダウンジャケットにパンツにキャップにマスクなんてしてられたら、犯罪者によくいるスタイルになってしまうのである。こういう人を見ると、どんなに金持っていても、ファションセンスが無かったらその人の価値は低くなる。

人間の中身は外見が作ると言ってもいい。外見を磨いていくことで美意識が高く鍛えられてゆく。しかし、人間外見じゃない中身だ、と言ってる人は、外観を、肉体を磨くのが好きじゃないだけで楽しているわけである。自分の外見に興味が無い人、つまり、糸が出るくらいほどけてても気にしないパンツに毛玉だらけのセーターに、皆がはいてると言うからはいてるニューバランスのスニーカー・・・センスを良くしようとガンバらない人は、それを見ざるをえない周りの人に失礼だと言うことを、わかってほしい。

「美」というものには個人差がある。が、それは古代から刷り込まれたものである気もする。が、好き嫌いではなく、客観的に「美しい」と言えるものは存在する。それを自分の心で感じることができないといけない。

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美しいものは、周りを輝かせ幸せにする。が一方、欲望をも発生させる。

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人の体は美しい。

が、”美しいもの”になるための努力をせずに「美」は手に入らない。

ギリシャ彫刻の理想像が「美」である。

抽象的で感じるものである「美」を自分の頭で論じていない人にはファッションのセンスなどはまったくテーマにもならない。

1、2年がんばれば若くなくても「しわ」は消える&短いパンツ姿はほんとカッコ悪い

ピーク時から約6キロ減った体重。

やせた人が誰も経験すること、それは

 

   ” しわ ”

 

年取るとできる「しわ」とちがって、肉で張っていたときのヒフがたるんでできた「しわ」は、妙にビンボー臭い。 目の下の「しわ」、下っ腹の「しわ」、それと見逃しがちだが「首」にしわができる。加齢とともにできるしわとたるみが合体して、非常に年寄りに見えるのが「首」である。 年配女性でわかってらっしゃる人は皆、首をスカーフで隠したりする。あの小池百合子さんがオリンピックのマークのスカーフを取ってた時に首にたくさん「しわ」があって、顔の張りと違ってバアさんに見えた。

自分は男であるが、みじめでビンボー臭いジジイにはなりたくない。太ってたときにわからなかった首のしわ、が、やせると2、3重にもなって醜い。そこで、1年以上前から「ニベア」と、たまに「ワセリン」でケアをしていた。そしたら!ここにきて、しわがほぼ消えたのです!(※個人の感想です)

ニベア」はとくに優れもの。 ケチケチしないでクリームの白色が残るくらいベターっと付けるのが自分なりに良いかも。ワセリンは安全で持続性があるから目の下とかに寝る前にたっぷり付けて。

ピーク時より少し太ったせいで「しわ」が消えたというよりも、「ニベア」と「ワセリン」のケアである。ちなみに、ひじ、ヒザ、の赤黒劣化は、毎日何度も塗って、1、2年でキレイになる可能性がある。(経験済み)

年寄りを見分ける方法は、ヒジ、ヒザ、首、手の甲、だな。

お顔と髪の毛、どんなに美しくケアしてても、上記の部分がポイントだな。

見えないから良いじゃない・・・って言うけど友達と温泉に行ったり、浴衣来たり、夏に半袖着たりしてヒジ、や首が丸見えになっちゃうじゃない? そういうときに人よりキレイになってると優越感で気持も良いし、何より自分だけは他人よりだらしない生活してないって思えることじゃない?

 

話変わって

しつこい話題ですが、

やっぱりカッコ悪いと思う、短いパンツ。

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とあるブランドの画像をかってに拝借。

このファッションセンス、気持悪いです。 ピチピチは嫌いじゃないけど、白は・・・それにどう見ても短すぎる。上のジャケットも超短いと思いません? 全体に、新宿2丁目にいるオカマです。。。あっ、失礼、今時おカマはセンス良しです。こういうカッコするのはあまり街を歩いてる人を観察してない普通のサラリーマンや雑誌をそのままマネてる奴か、ダサいショップ店員にのせられて着てるか、の、どれかでしょう。

これがイタリア人だったら、上半身に筋肉が付いて太もも&腰回りがもっとセクシーな骨格であるので、これほど変ではないでしょうが。

なぜ、こういうスタイルをするのか?憧れるのか?

たぶん、ヨーロッパ、イギリスのスーツを基本とする、パンツが靴にかからない長さですっきりさせるスタイルと、イタリアの「ヤさ男」はカジュアルでパンツを短くすること、この2点かなと思うが、こういうファッションはすべて、人種のなせる技(骨格・深い顔立ち・目と髪の色・雰囲気)、であるから、同じスタイルしても日本人がするとただのツンツルテンでしかないのである。

バブル時に流行ったアルマーニのスーツを未だに着ている建築家と仕事をしたが、ジャケットの肩は少し丸みを帯びウェストは太く、パンツ太く靴にかかるくらい長い。これはもう古すぎてダサいの一言だが、つまり、パンツが長いとおっさん臭くなるということだ。現代はスーツもスリムフィットだから、短いパンツの方がイイに決まってるが、問題は着る人の体型である。

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背も低く、上半身に筋肉がない、太ももが細くケツもたれてる日本人が、短いパンツでデカい靴はくと、ミッキーマウスか?と思うくらい漫画的なバランスである。どう見ても、靴の長さと足の太さのバランスが悪いのに、パンツ短くしてるからよけいファッショナブルではないのである。こういうスタイルしたいなら、太ももからケツを鍛え、足を長く真っすぐにに、さらに上半身をデカく、顔も扁平じゃなく雰囲気を出し、そうすれば、なんとか見れる、が、もうオール外人にななるしかない。

イビキは最大級の迷惑。それが原因で別れること数回

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3日のいつも通る秋葉原の橋の上の風景。

 

自分はイビキを ほとんどかかない、と思っている。

イビキは人から言われないとわからないけれど今まで人から指摘されたことがない。

サウナとスパとか、友達と旅行に行ったり、大勢で寝てると、イビキがうるさい奴は必ずいる。イビキ以外にデカい咳き込みとか、歯ぎしりとか、非常に迷惑である。足で蹴っ飛ばしたくなる。

 

  人の睡眠を妨害する権利はない!

 

しかし、自分が今までつきあった人は なぜか、ほぼ皆イビキをかく。

そして、イビキが原因で、結果、別れた。

好きでも一緒に、近くで、寝れないってのは、もうアウトです。

 

イビキぐらいで、ってう人がいたら、その人はノーテンキにすぐ寝てしまう人か、同じくイビキをかく人だと思う。

「イビキをかく人よりさきに寝ちゃえば良いじゃない」と言われたが、

   とんでもない!

イビキをかく人というのは無神経な人が多い。

まったく治そうとしない。無神経でだらしなくてほとんどがデブだ。

また、寝付きが良い奴が多く、コチラが先に寝るなんて無理なのです。

 

男と女の恋人同士で「イビキをかきます?」なんて質問はしないと思う。しかし、結婚するなら確認しておいたほうがいい。結婚しなくても付き合うなら、最初のうちは男のイビキをガマンできていても、同棲生活が長くなると、もうイビキはガマンでいないので別々の部屋で寝ることになり、しだいにSEXも無くなり、イビキをかく無神経な奴が嫌いになり、ただの同居人と化すか別れるのです。

それほどイビキによっては一緒に居れるか、居れないかが決まってしまうのです。

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差別は存在しない・差別する人がいるだけだ

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新年でも 何も変わらーん。

地方は新年だと盛り上がってる気がするけど、東京ってのは地方から来てる人が多いから、新年や5月の連休は ただの「箱」となり本来の静かな街となる。

子供もジジイもババアも嫁も親戚も介護もない。ただ楽。 家族がいないからと不安はない。何千年、何億年もまえから行われている家族というものが、ひっくり返っても瞑想してもどう考えても自分のDNAの中にあるとは思えない。家族を持つことは人口を増やすことが目的なわけではないと思うし、皆が無意識のなかで結婚と家族を持つことが行われていたら何かの意図があるはず。小さい頃からの親の刷り込み、かもしれないし、それで失敗する人が多いが、それでも人生経験だというならそれでイイ。一度は結婚や家族を持ってその人生を経験すれば済むことだ。しかし、それを「人間の本能」だ、と、かたずけないほうがいい、その理由は、「人としてあたりまえ」と思っていると必ず「差別意識」が働く。つい人に「そんなのあたりまえじゃない!?」「おかしいよ、皆そう思ってるのに?」と、あたりまえのように言い、差別をしてしまうのだ。人と違うことを議論するのは、意味がないと思う。自分だけで違う意味を研究すればイイのだ。人に違う意味を問いかけることは間違っている。

女装の東大教授が言っていた。

「この世には差別は存在しない。”差別する人”が存在するだけだ」と。

詭弁のように聞こえるが、これは説得力があった。

「愛」は存在する気がする。形のないものとして存在する。しかし、「差別」が「愛」のようにこの世に存在することはない。

人との会話で、このようなことがわかってる人か、そうでないかで、仲良くする人を選べる。