古代ローマ時代の皇帝ネロは暴君で有名だ。
ライオンと戦わせてコロシアムで殺し合いを楽しんだ。と言われている。
そのショーの仕事をしていた者達(従者)は、殺し合いを楽しんでいたわけではない。命令にそむいたら逆に殺されてしまうので皇帝の言う通りにしただけだ。殺し合いを楽しんでいたのは皇帝とその側近達と一部の観客達。彼らはそうとうな罪を背負ったといえる。
ある文献によると、人をあざけりバカにし楽しむことは1番大きい罪を背負う(殺し合いを楽しむなどもってのほかだが)と言われている。この「罪」とは法律のことではなく自分自身の罪である。
今回の日大のフットボールの選手が違反をして監督の指示だろうと誰もが思っている中、大学でのその監督の地位の高さからそうとな暴君ぶりは少ない情報からでも想像できる。
暴君はどこの国にもどの時代にも存在する。
ローマ時代にライオンの世話をしてただ任務に忠実だった雇い人も、暴君と同じ罪になるのだろうか? 法律のことを言っているのではない。人の罪の意識をいっている。
任務だと言う理由でしかたなく従った・・・従わないと殺されてしまうから・・というこの問題は、いろんなところで過去も現代にも論じられてきた問題である。
いったい、どういう選択が正しくて、どうしたらいいのだろうか?
話はもどるが、人をあざけりバカにし楽しむような「罪」は、輪廻転生を信ずるなら後世、自分の身体に不具が現れる、と言われている(これは20世紀最大のアメリカのチャネラー:エドガー・ケイシーのリーディングによる)。その過去の罪は償える状態がそろった時代の自分に現れる、という。つまり、過去の自分の罪をちがったカタチで償うのである。
「罪」というと科学的ではないので、つまり、「まいた種は自分で刈り取らなければならない」といった有名な言葉がすべてを物語る。
これはブーメラン現象、とも言われるが、何かアクションをしたらかならず自分へもどってくるという現象は非常に科学的である。ただ、それがいつなのか?いつの時代なのか?それはわからない。しかし、かならずもどってくると言われている。
日大と関西大学のフットボールの問題(事件)を観ていると立場の上の人間の暴君ぶりの責任は当然、自分自身の未来へもどってくるから、いまは解決が見えなくとも、不条理で怒る必要は無い。