ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

波に乗りたい人の軽薄さを感じるカッコ悪い流行語

カッコ悪い、と思うのは、現代用語集に載るような、最近の流行語。それは時代に沿った流れで、古代からいつの時代でも当たり前のように言語は移り変わる現象だと知っている。 が、それを使うことで仲間はずれにならないようにしたり、最先端だと思われたい、というのは、ただの浅はかでしかない。言葉の遊びはほどほどにするべきで。

いまは、推し活、推す、と言う言葉を使う人が大人でも多い。バズる、も使う。ラスボス、も使う。しかし、どれをとってもカッコ悪いと思う。

道徳的にとか、教科書的に、とか、そういうことじゃなくて、こういった低学年が使うような言葉、SNSで略したり比喩でつかう言葉自体が、波に乗りたい人の軽薄さ、としか感じない、だから、ただカッコ悪いと思う。周りが我先にと使いあっている言葉を、あえて使わず、古来からある略さず比喩にしない、まともな言葉を使うことができる人が、カッコいい。世間がそう言う風潮になるべきだし、言葉一つにしても20代の日本人が幼稚である証拠である。しかし、言葉一つになぜこれだけ文句を言うのか?といったら、物事の行為に、なんでもあり、と言ったボーダーレスになって、それが若い人の権利で自由だから、なんでもいいのだ、と言った風潮が生まれていく恐怖がある。この、無法地帯にならないように留まらせていたものが「流儀」というものである。

前にも書いたことだが、会話にも行為にも、すべてに、流儀があると思う。何かおかしい、と感じるのは、行為に流儀が無いからである。

その行為に一番あっているもの、それが流儀。規則でもなんでもないが、マナーとでも言うこともできるが、これは日本人が一番、知っていることなのだが、今生まれて20代ぐらいまでは、前世が日本人ではない可能性が高い。これはちょっと霊的な話になるが、日本人の前世を持っていない魂には、過去に日本人のもっていた美意識はない。それは、思いつきの言葉が広がっていく世代をみればわかる。流儀などが意識内にないのは当たり前なのである。

幸いにも、本当にとても幸いにも、自分には子供がいない。いないどころか結婚もしていないが(する気もないが)、もし、子供がいたとしたらきっと毎日片手にスマートフォンを持って軽薄な言葉使いをしているに違いない。恐ろしいことだ。自分の子供が自分が一番嫌悪している行為をしていたら・・・自分の子供だとしてもそんな子を愛せるだろうか?

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